![]() 月刊年金時代2013年3月号 「言語能力のつまずきについて」 話すのが苦手、聴くのが困難、読み書きに難アリという人のことを書いてみる。まずは、話ができない人のことから。 生まれつき耳が聴こえない人の場合、音声言語が耳に入った経験がないのだから、特別に発語の訓練を受けない限り、言葉を話すことができない。手話を習得して初めて、手話通訳者を介して、話をすることができるようになる。 失語症は、話すことだけでなく、読む、書くといった言語能力全般が失われる状態である。脳梗塞や脳出血により、言語中枢が侵されることにより発現する。精神的ショックから一時的に言葉を失うこともある。心因性の失語症で、美智子皇后の例では、4ヶ月言葉が出なかった。 「解錠師」スティーヴ・ハミルトン著(ハヤカワ文庫)の主人公マイクの場合は、失語状態がずっと続いている。8歳の時にある出来事から言葉を失ってしまったマイクには、絵の才能のほかに、どんな錠も開けられる才能がある。金庫破りで解錠に取り掛かる時も、恋人アメリアと逢っている時も、マイクの口から言葉は発せられない。 天才解錠師の少年が、耳は聴こえるのに、一言もことばを発しないというのは、とてもかっこいい。周りからは、畏怖の目で見られる。 「しゃべれない」というのは障害であるが、「しゃべらない」というのは一種の才能である。私の場合、「一日しゃべらないでいなさい」と命令されても、とても守れない。「黙っていられない」というのは、障害の一種だろう。そういう私から見ると、何があってもことばを発しない天才解錠師マイクは、かっこいいとしか言いようがない。 これとは正反対の事例。視覚、聴覚とも完全に失っているのに、しゃべることはできるという人がいる。9歳で視覚を失い、18歳で聴覚を失い、全盲ろうになった福島聡さん。現在は、東京大学先端科学技術研究センター教授である。 福島さんに、慶応大学での私の授業に講義に来てもらったことがある。関西弁の歯切れのいい話しぶり。学生からの質問には、間髪置かず答える。 福島さんが普通にしゃべれるのは、18歳までは聴こえていたからである。聴くほうは、福島さん自身が考案した指点字で、通訳が相手方の言葉を伝える。「福島さんのどこに障害があるんだろう?」と学生を驚かす講義の裏には、こんな仕掛けがある。 しゃべれないのではないが、コミュニケーションがうまくいかない人がいる。聞くのが苦手なので、相手の話に合わすことができずに、適切にしゃべれないという形である。アスペルガーなど、発達障害者の中に、そういう人が多い。 「言葉の問題」ということで、発達障害のことをもう少し解説したい。発達障害の一種であるディスレクシアについて。そのために、ディスレクシア当事者である藤堂栄子さんに登場してもらおう。藤堂さんの話は、私の授業にゲストとしておいでいただいた機会に伺った。 藤堂さんによれば、ディスレクシアとは、「知的には標準並みであるのに、読み書きに特異的なつまずきや困難さがみられるもの」である。英語圏では人口の10%以上、日本でも5%はいるといわれている。俳優のトム・クルーズ、スウェーデンのグスタフ国王もディスレクシアである。そのほか、ウインストン・チャーチル英国首相、相対性原理のアインシュタインもディスレクシアと言われている。 藤堂さんは話上手だし、トム・クルーズは俳優だから話すのが商売である。チャーチルは雄弁家として知られている。ディスレクシアの何が問題かというと、読み書きがちょっと苦手ということである。「読字障害」とか、「失読症」と言われたこともあったが、それほどの深刻なものではなく、「ちょっと苦手」といったぐらいのものである。 先日、私がコーディネーターを務めた発達障害についてのフォーラムで、パネラーの藤堂さんから「昔話」が紹介された。慶応大学経済学部の卒業論文制作を前にして、漢字を書くのに難がある藤堂さんは困っていた。担当教授に相談したら、「全部ひらがなで書いていい」と言われた。ひらがな書きの卒業論文をその教授が漢字混じりに直してくれた。そのおかげで、無事に卒論合格である。 その藤堂栄子さん、当時は、教授からも学生からも「えっこちゃん」と呼ばれていたらしい。それを聞いて私は「そりゃ、教授のえっこひいきだ」とまぜっかえしたが、会場からは全然受けない。「黙っていられない症候群」という私の障害は、こういうところでも発現する。 藤堂さんの息子さんもディスレクシアである。その息子は、小学校の先生から「漢字が書けない」、「漢字を百回練習しろ」と言われ続けていたこともあり、中学校はイギリス留学を選んだ。中学校に入ってすぐに、彼はディスレクシアと診断された。これがきっかけで、藤堂さん自身も診察を受けて、ディスレクシアということがわかった。 彼はイギリスで、教育上のいろいろな支援を受けて自信を取り戻した。その後、大学院を卒業して、今は建築家としてフランスで活躍している。 藤堂さんと息子さんの例だけではない。発達障害であることを周りが理解していない。言語に関しての障害といっても、その程度はごく軽いものだから、外からは発達障害であることがわからない。わからないままに、「人を馬鹿にしている」、「怠けている」、「空気が読めない」などと周りの人から疎んじられることが多い。発達障害当事者にとっては、生きにくさを実感する場面である。 話ができない、コミュニケーションが取れないという人には、それなりの原因がある。目の前の現象だけでその人を判断すれば、誤解が生じる。その原因に思いをいたすことで、当事者への対応は違ってくる。当事者が生きにくさから解放されるためには、発達障害について正しく理解してもらう必要がある。 言語生活に問題がある人のことを書いているうちに、「発達障害を正しく理解しよう」キャンペーンになってしまった。
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