![]() 月刊年金時代2013年2月号 「気持ちを伝える手紙について」 歴史小説を読んでいて、いつも思うのは、登場人物が自分の意思を遠くの他人に伝えるのに、とんでもない手間暇と時間とをかけているということである。 坂本龍馬が薩長連合を企図する際に、薩摩方、長州方と密に連絡をとり、謀議を重ねた。重要な情報や自分の考えは、相手のところに足を運んで伝えるか、手紙をもってするしかない。「早馬を立てる」というのは、よほど時間的に切迫しているときだけだろう。 電子メール、ファクシミリ、携帯電話という現代的テクノロジーが存在しない中での情報伝達が、いかに大変なことだったのか、先人の苦労が偲ばれる。 情報テクノロジー以前の恋人同士はどうだったのか。「何時に逢おう」となっても、腕時計なしでは、その時刻に約束の場所に赴くのは難儀だろう。そもそも、「何時に逢おう」というメッセージは、手紙で伝えるしかないが、その手紙を相手にどうやって届けるのか。忍ぶ恋においては、よほど口の堅いメッセンジャーがいなければならない。「長距離恋愛」など、とても成り立たない。 実際には、恋文のやりとりで成り立っていた。巻紙に筆で思いのたけを記す。硯で墨を擦りながらも、相手のことを想っている。「愛しています」に代えて、思わせぶりな歌など寄せるのは、なんと奥ゆかしいことか。このほうが、深く、確実に想いが伝わるはずである。 情報を伝えるだけなら、電子メールでも、電話でもいいが、恋心、感謝の気持ちなどを伝えるには、手紙のほうが、ずっと効果的である。相手に誠意が伝わる。 私の場合、贈答品を送ってもらったときなどは、御礼の手紙を書くことにしている。同じ文面をEメールで送るのでは、感謝の気持ちが十分に伝わらない。電話では、電話口に相手を呼び出すこと自体が、失礼ではないかと思ってしまう。ご無沙汰をしている相手に、贈り物の御礼とともに、近況を伝えるということでは、電話でのやりとりは、時に、有用であるとしても、純粋にお礼を言いたい時には、手紙のほうがいい。 手紙のほうが、相手に誠意が伝わるのはなぜだろう。封書と便箋、筆記用具を用意して手紙を書き、80円切手を貼り、ポストに投函するという手間暇をかけていることが、こちらの誠意として伝わるからではないか。メールの文字ではなく、肉筆であることで、書いた人の人柄が伝わるということもある。字のうまい下手は関係ない。下手な字は下手な字なりに、かえって誠意が伝わるような気がする。自分の下手な字の言い訳に聞こえるだろうか。 このところの原稿書きには、もっぱらパソコンを使っている。この原稿もパソコンで書いている。肉筆で書く機会が少なくなっているので、たまには肉筆の手紙を書くのは、いいことである。パソコンだけ使っていると、漢字が書けなくなる。字を書くために手を動かすのは、ぼけ防止のためにも有用である。 気持ちを伝える手段の定型化として、年賀状がある。外国の場合は、クリスマス・カード、バースデイ・カードなどである。これをメールで代用するのは、礼儀違反だろう。これとは反対の例になるが、弔電というものがある。無味乾燥の形式だけでなく、用意された例文を使うことが多い。お悔やみを伝えるには、肉筆の書状のほうがいいのではないか。最近は郵便事情が良いので、翌日には相手に届く。急ぎなら、ファクシミリで送ってもいい。そうか、みんながみんな故人や遺族への深い気持ちがあるわけでないから、弔電のように形式的なもののほうが、かえっていいのかもしれないと気がついた。だから、これ以上、弔電について、とやかく言うのはやめにする。弔電、祝電は、今や、電報事業の大半を占めるのだから、弔電が廃れては、電報事業が成り立たなくなるのも心配だし。 年賀状も挨拶の定型化であり、形式的なものなのだろうか。今年の元旦には、例年どおり、何百枚も年賀状をいただいた。しょっちゅうお会いしたり、メールのやりとりをしている人ならまだしも、年賀状だけでつながっている人が、定形的決まり文句だけの文面で済ませているのは、いかがなものか。今の職場はどこか、どういった生活をしているのか、家族の状況など、簡単でいいから近況など知りたいのになあと恨み節のあとには、苦笑い。1枚50円の経費もかかっている。一年一度の情報伝達の機会なのに、もったいないではないか。 大学で「未来構想ワークショップ」という授業を、今学期、一年生相手に開講した。1グループ8名前後に分けて、グループごとに課題を与え、課題について調査・研究をしてもらう。学期末には、その研究の成果を発表してもらう。調査・研究にあたっては、複数の有識者への取材を義務づけている。 有識者の取材のためには、事前にアポイントメントを取ることが必要であるが、それが大変である。成功率は半分以下。簡単ではない、そのつもりで、しっかりやりなさいと、事前に学生に注意を与えている。これも大事な訓練であるので、一年生のうちから身につけさせるのが、この授業のねらいである。 あるグループが、Q教授のアポイントメントを取るべく、メールで連絡を取ってもなしのつぶて。電話をしても応答なし。ある学生の発意で、Q教授の研究室の扉に、「こういうことを調べたいので、お会いしたい」ということを書いたメッセージを貼ってきた。効果てきめん。翌日には、取材承諾の回答があったという。 この成功例を他のグループにも教えてやったのは、言うまでもない。「君たちも、この手を使ったらいい」。さらに、取材をさせてもらった有識者には、後日、必ずお礼状を自筆で書いて送ることを忘れてはならないことも言い渡した。学生にも、自筆の手紙を書く習慣を身につけさせたいという思いもある。私の授業では、社会的常識も礼儀の問題も学ぶことができる。学生にはそのことに感謝して欲しいのだが、学生から自筆の礼状は、いまだに届いていない。
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