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月刊年金時代2013年1月号
新・言語学序説から 第108

「嫌いな言葉について」

 NHKラジオの「ラジオ深夜便」、月末の日曜日4時05分からは「天野祐吉の隠居大学」という対談が放送される。先回の内館牧子さんとの対談で「嫌いな言葉」が話題になった。内館さんは、「生き様」というのが、すごく、すごく嫌いだという。天野さんは、「私もそうだ。ザマミロのザマだからね」と受ける。「『あの方の生き様にあこがれているんです』なんて、とんでもない」と内田さんは怒っている。私にも、嫌いな言葉がいくつかある。内館さんに刺激されて、書いてみたくなった。

「茶碗蒸しになります」  
 これは、以前にも書いた。料理屋でお運びの女性が、こんなことを言いながらテーブルに並べる。「5分ぐらい、じっと見てると、これが茶碗蒸しになるのですね」とからかいたくなる。「『茶碗蒸しでございます』というほうが、よほど丁寧だし、感じがいいよ」と余計なお世話で教育的指導をしてしまう私。お店の教育も悪い。「なります」を丁寧な言い方だと教えているのかもしれない。

 テレビのレポーターが、「ここが殺人現場になります」と紹介するのを見ると、「ここで、もうすぐ殺人が行われるということだね」と茶々を入れたくなる。「ここが殺人現場です」でいいではないか。これも、嫌いな言葉というよりは、まちがった使い方になります。

「マジで」  
 これは嫌いな言葉。以前にも書いたが、落語家の仲間うちの会話で、「あいつ、渋谷の駅前交番で、『渋谷の駅はどちらでしょうか』って訊いてやんの。マジで」といった具合に使う。「ふざけてやっているのではなく、真面目に、真剣に」という意味での「真面目」の「め抜き」表現である。この語源を知っているからだが、若者が携帯電話で話しているときに、頻繁に繰り返される「マジで?」が耳障りでしょうがない。

「はっきり言って」  
 これが嫌いなのは、理屈ではなく、生理的に受けつけないということ。「はっきり言って」に続いて、正論(もどき)を展開する。テレビのニュース番組の司会者が、コメンテーターを前にして言うことが多い。「率直に言わせてもらいますが」でいいではないか。はっきり言って、「はっきり言って」というのは嫌いだ。

「すべからく、予算がつきました」  
 「すべて」、「みんな」という意味で使っているのが嫌い。「すべからく」は「須らく」で、「須らく、直すべし」という形で使うべきものである。それを知らずに、「すべて」と同じだと誤解しているのだろう。単なる誤解なのに、嫌いな言葉にしてしまうのは、無理にむずかしい表現を使っているのが気に食わないからである。偉そうに使った言葉が間違っているというのは、気に食わないというより、滑稽なことである。こういった言い方は、すべからく、やめるべし。

「がんばれ」  
 病気になる前の私は、フルマラソン5回完走の市民ランナーだった。ゴールまであと1キロといったところで、沿道から「がんばれ」の声がかかる。これが嫌い。走っているほうは、ヘロヘロになっている。「がんばれと言われたって、これ以上がんばれないんだよ。勝手なこと言うなよ」。こっちは疲れ果てているので、つい、気が立ってくる。なぜこれが嫌いな言葉になるかというと、命令形だから。疲れた身体に、鞭打たれるような気持ちになる。「命令するより、労わりの言葉をくれ」と反応する。「あと少しだよ」、「がんばってるね」という言葉のほうがうれしいし、元気が出る。こんなこと、マラソン走ったことない人には、わかんないだろうな。

「ほんとうに」
 人前でのスピーチ、特に、感謝の意を表すスピーチで、「ほんとうに」が多用される。しゃべっている本人は、無意識に使っていることが多い。「ほんとうに」が嫌いな言葉というのではない。多用されるのが耳障りなだけのこと。10回までは許す。それ以上は、ほんとうにいやになる。

「ほう」
 これも、以前に書いた。喫茶店での店員の言葉。「まず、ご注文のほうからいただいて、お支払いのほうはあとからお願いします。コーヒーのほうは、お砂糖とクリームのほうはおつけしますか。お席のほうは、あちらのほうでお願いします」。最後の例はオーケーだが、そのほかの「ほう」は不要である。

 イベントの説明役が「ほう」を多用する。暇な私は、「ほう」の回数を数えていた。5分間の説明で32回というのがあった。本人は自覚なしで使っている。そのことを教えてやるのが、親切なのか、放っておくのが、心遣いなのか。迷いつつ、今までのところ、余計なお世話のほうは、しないでいる。

「頂戴します」  
 小学生に物をあげたら、こう返ってきた。「恐縮です」とまで言った。その言葉は嫌いではないし、むしろ、素敵であり、普通なら感心する。それを小学生が言うのに違和感がある。子どもらしくない、こまっしゃくれているといったマイナス評価をしてしまう。同じ言葉でも、大人が使えば立派に聞こえるが、子どもが使うのはどうかというのがある。「すべからく、子どもは子どもらしい言葉遣いをするべし」ということである。

「腹減った」
 他多数  これは、誰が使うのかによって、嫌いな言葉になる。男性が言うのはなんともないが、これを女性が使うのは、やめてほしい。日本語に、男性言葉と女性言葉があるのは誇るべき文化であって、決して男女差別ではない。逆に、男性が女性のようにしゃべる「おネエ言葉」(例示は省略)があるが、これは嫌いというより、気持ちが悪い。

 これ以上書くと、私のほうが嫌われる。この辺でやめよう。


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