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月刊年金時代2012年11月号
新・言語学序説から 第106

「言葉遊びについて」

 私のホームページで「ジョギング日記」続けている。ある日の記述で、「小さい秋みつけた」と書く際に、一瞬、迷いがあった。「小さな秋」だったかな。それから、連想が膨らんだ。

 「小さい」と「小さな」は両立する(どちらもアリということ)、「大きい」と「大きな」も両立する。しかし、「深い」はあっても「深な」はない、「黒い」はあっても「黒な」はない。形容詞の語尾につく「い」と「な」が両立するかどうか、確かめてみたら、両立するのは、ごく少ないのに気がついた。これは面白い。

 「暖かい」と「暖かな」がみつかった。「細かい」、「柔らかい」も「い」と「な」両立である。ちょっと考えただけでは、両立形容詞の例が浮かんでこない。だからこそ、それを探すのが、ゲーム感覚で面白いともいえる。

 ところが、ちょっと加工すると、両立の例がたくさん出てくるのに気がついた。「欲深い」と「欲深な」は両立する。同様に、「真っ黒い」と「真っ黒な」、「真っ白い」と「真っ白な」の例がある。「欲深な」はあっても、「情け深な」はない。「情け深い」はあるのに、前につけるものによって、「アリ、ナシ」が違う。「真っ黒い」があるからといっても、「真っ赤い」はない。「赤い」はアリ、「赤な」はナシなのが、前に「真っ」をつけると、「アリ、ナシ」が逆転する。これと同じなのは、「青」である。「青い」はアリ、「青な」はナシだが、「真っ青い」はナシで「真っ青な」(この場合、「あお」でなく「さお」と読む)はアリ。ついでに、「真っ暗い」と「真っ暗な」、「まん丸い」と「まん丸な」がある。いずれも、「ま」を頭につけないと、語尾が「な」となるほうはナシである。

 色の形容詞の中でも、白、黒と赤、青は、同じ扱いではない。そこには、一体どういった規則が働いているのか、興味は尽きない。私の「研究」は始まったばかりだが、これからもう少し研究を深めたい。

 「研究」とは大げさである。この「アリ、ナシ」探しは、最近、散歩中の暇つぶしにやってみただけのこと。言葉遊びの類である。暇つぶしの言葉遊びには、前例がある。私が勝手に「逆転漢字」と読んでいるもの。ついでに、これも紹介しておこう。

 「逆転漢字」とは、漢字の熟語の文字順をひっくり返しても、意味のある熟語となるもののこと。私の命名による。そういった熟語を探すのは、結構面白い。逆転しても、元の熟語と意味が変わらないもの、類語的なものになるものがある一方、まったく違った意味になる熟語がある。そこが面白い。

 まず、逆転しても、意味が変わらないもの。「論議」と「議論」は英語では、どちらもdispute又はdiscussionのこと。後ろに「する」とつけて動詞にしても、どちらも同じ意味である。この類のものを羅列すると、「別離と離別」(separation)、「見識と識見」(opinion,view)、「情熱と熱情」、(passion)「練習と習練」(practice)、「関連と連関」(relevance)、「出現と現出」(appearance)、「木材と材木」(timber)。面白いところでは、「親父と父親」がある。

 意味がほぼ同じというものになると、きりがないが、少しだけあげてみる。「分配と配分」、「便利と利便」、「苦労と労苦」、「論理と理論」、「併合と合併」、「感情と情感」、「運命と命運」、「下降と降下」などなど。

 「分配と配分」については、「意味がちょっと違う」というところに意味がある。大学の「地方自治論」の授業で、地方交付税について学生に説明するのに、この「違い」を強調した。「現在の地方交付税は、国が地方自治体に分配しているものである。これを地方自治体が自分たちの間で配分するという形にするという改正も地方分権を進めるためには必要なことである」という具合に、「分配」と「配分」を使い分けている。「分配=distribute」、「配分=share」との理解に立っての使い分けだが、改めて英和辞典で調べたら、distributeの訳語に「配分」も載っていて、少しだけ自信がぐらついた。

 逆転すると、意味がまったく違ってしまう熟語に進もう。逆転したほうは、あえて書かずに、生の熟語だけ並べてみる。読者は、自分で逆転させてみて、「ふふーん」と感動してもらえばいい。

 規定、夫人、人名、名著、人情、事情、心中、長所、電停、権利、事故、中卒、色男、文明、毒梅などなど。夫人と人夫の取り合わせは、「チャタレイ夫人の恋人」を思わせる。情事に至る事情はなんだったのだろう。利権をあさることを権利と思っている悪い奴。あの色男は、実は男色の気があるんだって。いろいろ、ストーリーができそうな気がしてくる。三文字熟語の逆転成功例は、今のところ、「芸人名」のひとつだけ。

 「事情と情事」については、思い出すことがある。私が仙台市立木町通小学校5年2組の生徒だった頃。国語の試験で「情を使った熟語を書け」という出題があった。情景とか情熱というのが普通の答だろうが、それが思い浮かばなかったので、「情事」と回答した。その後、担任の樋口邦彦先生に呼び出されて、「浅野君は、この熟語をどこで覚えたのか」と訊かれたので、「映画のポスターに書いてありました」と答えた。先生も、それで安心したのか、お咎めなしである。

 学校の近くにあったコニー映画館に「昼下がりの情事」(ゲイリ・クーパー、オードリ・ヘップバーン主演)がかかっていて、そこで見たポスターの文字を覚えていた。苦し紛れに、それを書いたのである。そういった事情があった。情事の意味も知らない、初心な史郎少年であった。

 逆転しても、意味のある熟語になるものは、数限りなくある。思いつくたびに、手帳に書き留めておいた。一時期、「一日一個」とがんばったが、今は、情熱=熱情は冷めている。100を少し超えたところで小休止であるが、また再開しようかな。

 日本語の言葉遊びは、面白い。自分でみつけたゲームと思っているので、なおのこと面白い。今回の原稿のネタにも使えたのだから、それなりに役に立ったのも、愉快なことである。


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