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月刊年金時代2012年10月号
新・言語学序説から 第105

「面接について」

 面接については、いろいろな思い出がある。まずは、娘の幼稚園入園に際しての面接を思い出す。複数の幼稚園を受験したが、一つの幼稚園では、本人面接で娘が泣き出してしまった。当然、不合格である。他の幼稚園では、両親面接というものあり、私も妻とともに体験した。娘の教育方針など訊かれたような気がするが、よく覚えていない。内容は忘れてしまったが、「父親も面接受けるんだ」という体験を面白がっていた記憶はある。

 自分自身が対象となった面接は、就職試験で体験した。民間会社での面接を何ヶ所か受けたが、本人に強い就職願望がなかったせいもあり、緊張感があまりない。ある会社の面接では、「あなたのような人材には、ぜひうちの会社に来て欲しい」といった「甘いお誘い」があった後に、支持政党はどこかと訊かれた。この会社が、当時の政権与党の自民党べったりであることを知りながら、「社会党です」と答えたのは、そういう人材を採用するかどうか試してみようという気持ちが、私のほうに少しあったから。結果は、当然ながら「不採用」。今なら、支持政党名を面接で訊ねるなんてことは、許さるはずがない。

 私の本命は国家公務員であった。公務員試験の二次試験合格を知ってから数日経って、厚生省に「採用してもらえませんか」と出かけていった。「今頃来てなんだ。もう採用予定数の内定は終わっているんだぞ」と叱られたが、なんとその場で採用内定を決めてもらった。面接は、それから数日後。厚生省の幹部が10人以上居並んでいるところで行われた。某局長から、「浅野君は大学の成績がずいぶん悪いな。どうしてだろう」と訊かれた。「頭も悪いし、勉強もしなかったからです。どちらかが違っていれば、もう少しいい成績だったでしょう」というのは、精一杯正直な答のつもりだったが、「ふざけた奴だ」と思われて、採用を取り消されても仕方がなかったかもしれない。面接がこんなだったのに採用が取り消されず、厚生省に入省できたのは、幸運なことである。

 厚生省では、採用を担当したこともある。面接というよりは、一対一の面談である。私のところに送られてくる前に、一次面接で志願者がふるいにかけられる。志願者一人について、一対一の面接が三回行われる。たまたま、A君の面談結果に三人とも×をつけているのが目に留まった。成績が悪いのかと思ったら、東大法学部での成績も優秀、公務員試験の結果も上位である。A君は、面談での対応も、まじめで、まともなものだったらしい。「それで、どうして三人とも×をつけたんだ」と訊くと、「A君が厚生省で仕事をしているイメージが浮かばない」とのこと。面接担当者は、A君が入省してくれば、職場で一緒に働く先輩である。その先輩が三人そろって、「うちの組織で活躍できる人材ではない」と評価するのだから、どうしようもない。A君は、他の省でも採用されなかったらしい。

 受験界の最高峰である東大法学部に合格し、そこでの成績も優秀。しかし、就職試験という最後のステップでこけてしまった。面接の受け方の問題ではない。そこに至るまでの人格形成に関わるところが大きい。「受験勉強も大事だが、それより人間教育がもっと大事」ということを、教育ママは知るべきだろう。

 この時の面接で、もうひとつ思い出すことがある。いかにも自信たっぷりで面接に対応するB君。厚生省以外の某省も受験しているという。両省の面接担当者を比べて、自分がいいと思うほうに行くと明言した。面接は志願者が選別される場ではなく、見合いの席だと受け止めているのだろう。つまり、「こちらにも選ぶ権利があるよ」ということ。それはそのとおりだが、そのことを面接の場で口に出すかどうかは、別問題である。結局B君は、某省のほうを選んで入省した。その後、某省でB君がどうなったのかは、知るところではない。

 次に面接に関わったのは、2006年に、慶應大学SFCに職を得てからのこと。大学教授として、学生の入学選考に関わることが多い。  面接は、学生が部屋に入るところから始まる。部屋に入り、面接担当者の前に進んで一礼をし、椅子に腰掛ける。その挙措動作も見られていることを学生は意識しているだろうか。

 面接では、こういった挙措動作も評価対象になるが、最も大事なのは、面接担当者からの質問への答え方である。ありきたりの質問に対しては、ありきたりの答しかかえってこない。それでは、入学を許すかどうかの適切な評価にはつながらない。質問にも工夫を凝らさなければならない。持ち時間20分の中で、くだらない質問をしている余裕はない。

 面接は、学生の選考のためだけではない。優秀な学生については、本大学につなぎとめる契機としても重要である。他大学に併願をしている優秀な学生に対しては、他大学に逃げられないように、本学のよさをアピールすることも、面接担当者の大事な任務である。面接担当官の任務は、結構重いのである。

 面接は質問と答のやりとり、つまり言語によるコミュニケーションである。学生の言語能力が試される。答える内容も重要であるが、面接までやってくる学生は、準備がよくできているのが大半だから、ここで差がつくのはあまりない。差がつくのは、しゃべり方である。はきはきしている、表情が明るい、声が大きい(程度問題ではある)、自信がある(これも程度問題)、こういう学生への評価は、どうしても高くなる。そうでない学生には×がつく可能性が高い。

 今どき、面接対応を教える塾が盛況だという。そうか、この学生のパフォーマンスが上手なのは、塾での仕込みなのか、本質的なものなのか。面接担当者側としたら、面接の場で、そういうところまで、見分けなければならない。狐と狸の化かしあいではないが、面接を担当するには、それなりのやり方に習熟しておく必要がある。

 面接やるのも、なかなかむずかしい。こういったことを教えてくれる塾はないのだろうか。


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