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月刊年金時代2012年8月号
新・言語学序説から 第103

「暗唱について」

 「暗唱」は、暗記したものを口に出して唱えること。「諳誦」とも書く。「唱」は唱歌の唱、歌唱の唱だから、歌詞を見ないで歌うのが、典型的な暗唱である。ついでに、「唱歌」、「歌唱」のように、漢字を逆さまにしても意味のある別な熟語になるのを「逆さ漢字」と命名したのは私である。「事情」→「情事」のように、まったく違った意味になるのもあって、面白い。こういう「逆さ漢字」を思いつくたびに、手帳に書き留めておく。そのリストが百を超えた。いつか、「逆さ漢字について」の原稿を書いてみたい。

 話が大きく脱線した。「暗唱について」に戻る。童謡は、ふつうは暗唱である。「かーらーす、なぜ鳴くの」を歌詞を見ながら歌う子どもの様子は、あまり思い浮かばない。少なくとも私の場合は、童謡は歌詞を見ないで歌っていた。

 私の場合、歌謡曲はもっぱら暗唱であった。舟木一夫が「高校三年生」でデビューしたのは、昭和38年6月のこと。私は宮城県仙台第二高等学校の一年生だった。そのあと、「修学旅行」、「学園広場」、「仲間たち」、「ああ青春の胸の血は」、「君たちがいて僕がいた」、「花咲く乙女たち」と立て続けにヒットを飛ばした。これらのすべて、3番まで暗唱している。

 実は、同じような文章を「週刊朝日」(7月13日号)の「暖簾にひじ鉄」で内館牧子さんが書いているのを目にした。舟木一夫芸能生活50周年記念のパーティーに内館さんは出席していた。「舟木さんはこれらをステージで歌われたのだが、どの曲も全部3番までそらで歌える私に自分であきれた」。

 あきれることはない。同好の士がここにいると、私はとてもうれしくなった。内館さんは、「どの曲の歌詞も非常に純粋で、てらいがなく、まっすぐなのである」とも書いている。そのとおりである。歌詞がよくなければ、暗唱する気にならない。ちなみに、作詞は丘灯至夫(高校三年生、修学旅行、君たちがいて僕がいた)、関沢新一(学園広場、高原のお嬢さん)、西沢爽(仲間たち、ああ青春の胸の血は)、西條八十(花咲く乙女たち、夕笛)の面々である。

 こういった曲を歌うのは、夜の道を一人で歩くときとか、風呂場での鼻歌である。そんな場面に歌詞カードなど持ち込めないから、暗唱するしかない。ほんの一ヶ月前に、「舟木一夫ベストコレクション」のCDを購入した。CD演奏に合わせて一緒に歌ってみたが、ところどころ、忘れてしまっている。何度か歌っているうちに、記憶が蘇ってきた。歌詞だけでなく、50年前の記憶が蘇ってきた。50年ぶりに、風呂場での「舟木一夫ものまねリサイタル」も復活した。

 歌うほうの暗唱はこれぐらいにして、次は「諳誦について」。前回「美しい言葉について」書いたが、そこでは佐藤春夫の「少年の日」を引用した。「野ゆき山ゆき海辺ゆき 眞ひるの丘べ花を藉き」のあの詩である。他にも、若い頃に諳誦していた詩がいくつかある。「ふらんすへ行きたしと思えども、ふらんすはあまりに遠し」(萩原朔太郎「旅上」)、「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」(室生犀星)、「汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる」(中原中也)、「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき」(島崎藤村「初恋」)など。ああ、きりがない。引用だけで、今回は終わってしまいそうなので、まだまだあるが、ここまでにしておく。

 いずれも、いい詩だが、口に出して読んでみるとさらによい。日本語としてのリズムの良さがあるので、自然に諳誦したくなる。いったん諳誦できれば、歌のようなもので、いつまでも覚えていられる。身体に馴染むというのだろうか。

 小説の中の文章でも、諳誦したくなるものがある。「山道を歩きながらこう考えた。智に働けば角が立つ 情に棹させば流される 意地を通せば窮屈だ とかくこの世は住みにくい」(夏目漱石「草枕」)がその代表。

 古文でもいいのがある。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(鴨長明「方丈記」)。高校の古文の授業で、これに続く部分も長々と諳誦させられた。当時は厳しい先生だとうらんだが、今では先生に感謝したい。50年の時を経ても、この流れるような文章を諳誦できるのだから。

 昔は暗誦できた「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり」(平家物語)は、今は、つっかえつっかえである。悔しいので、あらためて諳誦に取り組んでいる。老化対策として、頭の体操になるし、滑舌訓練にもなる。そして漢文調の名文に親しめるのだから、一石三鳥である。

 こういうのも諳誦というのだろうか。そんなエピソードを最後に紹介する。「テロ特措法」の正式名称のことである。「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」(平成13年11月2日法律第113号)というのが、「テロ特措法」の正式な名称である。

 慶応大学での政治学の授業で、学生にこれを披露した。「なぜこんなに長い名称になるかというと、憲法9条の制約がある中で、イラクに自衛隊を派遣するためには、法律の名称としても、相当の工夫をする必要があるからである」と解説した。政治学の授業として、大事なポイントである。内閣法制局の参事官と外務省、防衛省の役人たちが知恵を絞ってひねり出した名称だから、こんなに長くなる。

 学生も「なるほど」と聴いている。111文字に及ぶ法律名を12秒で諳誦したことで、学生にもインパクトをもって伝えることができた。こういうのも「芸は身を助く」というのだろうか。「うちの先生、ちょっとおかしい」という印象を持たせたかもしれない。諳誦の「特技」を誇るより、そっちのほうを心配しろと言われそうだ。


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