新・言語学序説から 第8回 「言い換えについて」 言葉というのは面白いもので、同じことを違った表現で言うと、意味内容まで違って聞こえる。言葉遣いの妙味であるとも言えるが、意図的に印象をゆがめるためのやり口でもあり得るから、この辺は受けとるほうが心しなければならない。 この文脈で、私にとって忘れられないことがある。宮城県における食糧費問題に関連してのこと。 宮城県は「食糧費」の予算を使って官官接待を行っていたが、その際に、懇親会を開催したことにしたり、出席者数を水増ししたりの経理処理をして、公費を他に流用していたことが判明した。県庁での記者会見では、私はこのことを「不適切な事務処理」と言っていた。 NHKの「週刊こどもニュース」が取材にきた。「情報公開」がテーマだったかと記憶している。こども記者の質問を受けて私が答えるのだが、同行のディレクターからは何度も「ダメ」が出る。「この番組は、小学校五年生程度を対象に作っています。そんなむずかしい表現では、こども達には伝わりません」というのである。そこで「食糧費の不適切な事務処理」ではわからないだろうなと思ったので、こども記者には、「あのね、書類に嘘書いたの」と言った。 言ってしまって、自分で驚いた。そうか、「不適切な事務処理」ということは、「書類に嘘書いた」ということなんだ。こちらのほうが、ずっとインパクトが大きい。しかも、真実を言い表している。書類に嘘書いたことを「不適切な事務処理」と言うのは、役所用語というより、やはり、一種のごまかしと認めざるを得ない。こどもニュースに教えられた場面である。 おまけがある。この「事件」から数年後に、クリントン米国大統領と研修生のモニカ・ルインスキーとのセックス・スキャンダルが明るみに出た。その時に、前大統領の口から出たのが「不適切な関係」であった。これが何を意味するかは、改めて解説をするつもりはないが、これを「書類に嘘書いたの」と同じような言い方で表現したら、あの「事件」は違った展開をしたかもしれない。 この例とは全く正反対の意味合いの言い換えについて。 「女中」が「お手伝いさん」になった。「小使いさん」が「用務員」になった。「トルコ風呂」が「ソープランド」になった。最後の例は、トルコ大使館の新任職員が、空港からタクシーに乗って職場に行こうとしたら、「トルコ・大使館」に連れて行かれ、「神聖な自分の国の名前が、いかがわしい特殊接待の場の代名詞になっている」と怒ったのがきっかけで、改名されたという経緯を、なぜか私は知っている。この例も含め、改名後の言い方が、今ではすっかり定着している。逆に、今の青少年は、昔の言い方のほうは、知らないのかもしれない。最後の例も含め、改名後の言い方のほうが、適切だと思う。 「不快用語」というのがあって、私が厚生省に在籍していた頃に、これの改正が法律レベルで行われた。障害者を表す用語である。「めくら」は「目の不自由な人」に、「つんぼ」は「耳の不自由な人」に、「おし」は「口の不自由な人」に、法律用語として改正された。放送用語で「めくら判」、「つんぼ桟敷」、「片ちんば」というのは、この法律改正以前から使用できなかったような気がするが、記憶は確かでない。 この頃の冗談で、「顔の不自由な人」などというのがあった。法律用語の改正はわかるが、放送禁止用語のほうは、ちょっと考え過ぎではないかとの感もある。放送の中身のほうで、実質的に障害者や弱者に差別的なことをやっていながら、用語だけに神経をとがらすのはいかがか。そういった思いもある。 同じく障害福祉の世界では、「精神薄弱者」の用語が、関係者の間では問題視されていた。うちの子は、知的な発達は遅れていても、精神は決して薄弱ではない。エライ人の中にも、精神が薄弱な人はたくさんいるじゃないか。そんなことを言う保護者もいた。言い換えについてはいろいろな案があったが、結局、「知的障害者」に落ち着いた。法律上も改正がなされた。ベストの言い換えではないが、今ではそれなりに定着してきている。 最近では、「精神分裂病」が「統合失調症」に言い換えられた。元の名称は、さまざまな誤解を与えかねないものだったことを考えれば、これも適切な言い換えだろう。「成人病」が「生活習慣病」になったのも、極めて適切な変更であったと思う。高血圧とか糖尿病は、生活習慣を変えることによって避けることができる、というメッセージを含んでいる。この用語のおかげで、生活習慣を変えた人(私のこと)もいる。こういうことを考えると、用語の持つ力というものを改めて感じる。 そのまま言うのがはばかられる表現を、みやびやかに、おだやかに言い換えるというのは、生活の知恵のようなものである。英語ではこれを「ユーフォミズム」という。「便所」を「お手洗い」、「化粧室」と表現するような言い換えは、どこの国でも同様である。日本では、「雉を撃ちに行く」という言い方もある。野外で便意を催した時の、みやびやかな表現である。 米国在住の頃、妻が医者にかかった時に言われた「バウワル・ムーヴメント」が、妻にとってはピンと来なかったらしい。直訳は「腸の運動」、日本語では「お通じ」にあたるのだろう。英語でのこの表現は、「お通じ」よりも、私は気に入っている。同じく英語では、「知的障害児」を「スロー・ラーナー」と言うのも、なるほどとうならせる表現である。「ゆっくり学ぶ人」というのは、言い換えというのを越えて、本質を言い表している。早くは学べないが、ゆっくりなら学べるよというメッセージを含んでいるところが素晴らしい。 言い換えということで言い出したら、数限りない例がある。書いているうちにいろいろ思い浮かんできたが、紙数が尽きた。これで「筆を置く」。いや、「パソコンのキーボードを打つのをやめる」。
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