浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

月刊年金時代2002年8月号
新・言語学序説から 第2回

「野球解説について」

 言葉に興味がある者として、どうしても気になってしまうのが、テレビの野球解説である。あそこで飛び交っている「解説」の日本語が、正しくて美しいとはとても思えない。日本語講座じゃないんだから、そんな固いこと言うなよと反論されるだろうが、モノゴトは程度問題である。一方で、正しく、美しく、しかもわかりやすく聞きやすい解説をしている解説者も、数は少ないがいるのだから、他の「あと一息」の人達にも、努力の余地はあるということである。

 数少ない、合格点の解説者のほうを先にあげておこうか。江川卓さん。話し方や声質が聴きやすいということも大事なポイントであるが、なにより中身がいい。結果論や精神論でなく、技術論、戦術論を噛み砕いて、的確な表現で伝えている。頭の良さ、野球センスだけでなく、日本語の使い手としての洗練度に敬服する。堀内恒夫さんの解説もソツがない。聴きやすい。その他、NHKの解説者は、ほとんどが合格点。選ぶ側のセンスということも関係があるのだろう。

 一方、日本語の使い方ということで言えば、やはり長嶋茂雄さんであろう。びっくりするような日本語という意味である。主語と述語が一致しない。よく物真似でやられるのだが、「いわゆる、そのー、ひとつのですね・・・」という、無意味なフレーズが多過ぎる。「メークドラマ」といった、和製英語がひんぱんに出てくる。

  ここまでくると、むしろ一つの輝く個性のようなものであって、長嶋ファンにとっては、こういう表現スタイルすらも魅力と感じるのだろう。美しい日本語を大切にしたいという私にとっては、ちょっと耐えられない。先日は、野球中継で、息子の一茂さんと一緒にテレビ出演していて、野球の流れとは全然関係のない話をべらべらしゃべっていた。とても我慢できなくなり、テレビの音声を消して中継を見ることになってしまった。

  阪神ファンの私としては言いにくいのだが、阪神OBの某氏の解説も大いに気になる。まず、声の出し方に問題がある。力み過ぎというのか、耳にうるさいのである。もっと、淡々と解説できないものか。そして、話す内容もかなり陳腐に感じる。「この試合、一点でも多く取ったほうが、結局は勝つのではないでしょうか」に近いような「解説」である。

  この某氏だけでない。テレビでの野球解説者の使う日本語に、私のことば感覚からいうと、カチンとくるものがある。「桑田投手自身は一生懸命投げているのですが・・・」というのは、どういう意味か。こういった形で「自身」という表現が多用される。これは省いても、意味はなんら変わらない。

  日本中を湧かせたワールドカップ。そのゲームの解説者たちの話し振りには、感心した。わかりやすい内容、的確な言語表現。なるほど、なるほどと思って聴いていた。あまたの野球解説者となんたる違いか。凡庸な野球解説を聴いていると、「そんなんだったら、俺だって解説できる」と思う場面が多いのだけれども、ワールドカップの解説ではそうはいかない。私のサッカー知識が、野球知識に及ばないからというだけではない。この違いはどこから来るのだろう。

  野球というスポーツの特性もある。プレイが一つ一つ途切れるのである。サッカーは、一旦試合が始まれば、ハーフタイムまで45分間は、一連の流れで続いていく。解説者も、のんびり構えてはいられない。その場その場で、的確なコメントを短めに出していかなければ、試合についていけない。

  その点、野球解説は、囲碁か将棋の一手ずつのごとく、「この場では、こう攻める、こう守る」というコメントを期待されている。逆に言えば、コメントの時間がたっぷり過ぎるぐらいあって、サッカー解説に求められるような、瞬時のコメント、鋭い頭の回転、滑らかな舌というものはなくても済む。だから、凡庸な解説者の淘汰がなされないままに、きているのではないか。的確な表現の日本語を使わなければ、解説者として生きていけないという厳しさもないがために、解説者としての日本語の鍛え方も足らないのではないか。

  野球解説者の責任だけではないのだが、「あんなボールだまを打っちゃいけませんね」という表現も、聞いていてかなり違和感がある。「ボールだま」というのは、英語ではなんて言うのだろうか。「ボールのたま」を打っちゃいけないと言われた打者は、一体何を打てばいいのだろうか。「ストライク、ボール」のボールと、実際に打つ球のボールが同じ言い方なのが、混乱のもとである。戦時中に敵性用語排除のために代替されていた「よし、だめ」のほうがわかりやすいかもしれない。

  へんな表現ということでいけば、死球がデッド・ボールというのも誤訳ではないのか。英語では、ヒット・バイ・ザ・ピッチという。デッド・ボールは試合停止球のことである。デッドは形容詞で、当然ながらボールにかかる。直訳すれば、死んでいる球ということだから、これが死球というのはおかしい。誰か、英語と野球の両方に詳しい方、ほんとのところを教えて欲しい。

  ナイターは和製英語で、本来は、ナイト・ゲーム。ところが、最近では、ナイターの表現が、アメリカでも使われるようになったということを聞いた。これも、消息通の方、真偽のほどを教えてくれないか。

  野球の名選手には、関西出身者が多いことも関係しているのだろうか。「投げる」ことを「ほうる」と言うし、正真証明のストライクを「どまんなか」と言う。敬愛する随筆家の故山口瞳さんが書いていたが、本来の日本語では「まんまんなか」である。「ど」という接頭語は、「どすけべ」とか、「どケチ」といったように、下品なことを強調するものである。美しい日本語ということでは、こんな点にも気配りが必要と思う。


TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org