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月刊年金時代2002年7月号
新・言語学序説から 第1回

「ワイドショーについて」

 今回から、連載開始。テーマは、ことばについて。以前別な雑誌で十六回まで書いたテーマである。言葉に興味のある私としては、書きやすい領域。引継いだ大げさなタイトルは、洒落だと受け流して欲しい。第一回は、ワイドショーについて。

 ワイドショーとは、政治・経済・社会の時事問題、芸能・スポーツ、ファッション、健康などなど、ごたまぜの話題を、司会者の仕切りによって、コメンテーターと称する人達に意見を言わせ、編集済みのビデオや解説を織り交ぜて展開されるテレビ番組と理解している。多くは、低俗性とまではいかなくても、大衆性といった印象で語られる。

 ワイドショーでは、わかりやすさが命。そのためにとられる手法が、繰り返しである。ある場面や特定のコメントが何度も何度も、繰り返し放送される。

 最近はやりの手法で、コメントしている画面の下に、字幕がつく。音声からのインパクトに、視覚的インパクトが加勢する。

 繰り返しと字幕追い討ちといった印象づけによって、視聴者に一定のイメージが強烈に植え付けられる。どうも、それはあまり健全ではないような気がする。長いコメントでも、編集の都合で切られてしまい、一定の部分のコメントだけが放送に使われる。時として、話す人の真意とは違ったニュアンスで伝わってしまうということもなきにしもあらず。そんなことを心配するのである。

 ワイドショーには、善玉と悪玉が登場する。善玉といったらいいのかどうかわからないが、ワイドショー的に「受ける」のは、小泉首相と田中眞紀子前外相である。コメントが短くて印象的、時に秀逸な例え話。小泉首相が、怪我を押して優勝した貴乃花に優勝杯を渡しながら言った「よくがんばった、感動した」というフレーズ、田中眞紀子さんが、総裁選候補者三人を並べて「変人、凡人、軍人」と言った人物評、ワイドショーならずともだが、大受けであった。

 その故もあって、二人は、少なくともしばらくの間は、ワイドショーでは善玉であった。特に、田中眞紀子さん。専門家というか事情通の間では、田中眞紀子さんの政治的能力、外務大臣としての資質には大きな疑問符がつけられ、外務大臣罷免は当然という意見が主流であったのに対して、ワイドショー視聴者の間では、「眞紀子さんかわいそう」の声も含め、眞紀子人気には絶大なものがあった。

 文藝春秋六月号の、「ワイドショー政治の元凶を撃つ」という記事の中で、立花隆さんは、「日本の政治は、田中眞紀子の登場以来、救い難く低劣化し、ワイドショー化してしまった」と語っている。さらに、田中眞紀子さんについては、「ワイドショーに出てきて威勢よくしゃべりまくる元気がいいオバサン・タレントの部類」、「ワイドショーの視聴者層が圧倒的に眞紀子ファンの層だったので、TVは眞紀子を正面切って批判できなかった」と強烈に批判している。

 悪玉のほうは、あげるに事欠かない。鈴木宗男議員などは、その悪玉の中でも飛びきりの「人気者」であった。野村沙知代さんは、当初はいい意味の人気者だったのに、ある時から悪玉の代表にまつりあげられてしまった。ワイドショーは、常に、こういった悪玉を必要とし、ひがみ、やっかみ、ねたみ、そねみの類の、人間の感情に訴える手法を使いたがる。これは、まことにもって困ったもの。

 この稿は、ワイドショーの批判が趣旨ではなかった。ことばの問題からワイドショーに迫ろうということなので、本筋に戻す。ワイドショーが、世の中のあらゆる問題について、ある意味ではことばを操作して、一定の感情的興奮状態を作り出すことに寄与していることを指摘したかっただけである。

 ワイドショーに出てくるコメンテーターなる存在について。そして、彼らが語ることばについて論じてみたい。かくいう私も、コメンテーターなることを何度かやったことがあるので、ひとことある。心しておくべきことは、瞬間芸であること。つまり、司会者に振られたら、ごもごも言わずに、瞬間的にすぐ反応すること、そして、だらだらしゃべらずに、短めの、つまり一瞬のコメントにまとめること、そういった二重の意味で瞬間芸である。

 これは暗黙のルールであると思うのだが、自分のことはともかく、これができていないコメンテーターを見ていると、いらいらしてしまう。自分が早口のせいもあるが、あまりにもゆったりとしたしゃべり方も気になるところである。

 コメンテーターに限らないが、しゃべり方や声の質というのは、話す内容以上に説得力に大いに関係してくる。いつも感心するのは、わが畏友である寺島実郎三井物産戦略研究所長。バリトンのよく響く声でコメントするのを聞いていると、内容の奥深さと相俟って圧倒される思いになる。TBSの「サンデーモーニング」の岸井成挌さんの話が説得力あるのは、あの声と歯切れのいい話し方も寄与している。

 ただし、ワイドショーのコメントは、あとで「ところで、どんなことを言っていたのか」と思い出すことが意外とむずかしい。女性に多いようだが、服装や髪型、ネクタイの趣味とか、そんなことのほうは鮮明に覚えていて、内容はどうだったけという反応になってしまう。その点、ラジオでのコメントのほうは、比較的内容が聞いている人の頭にしっかりと入るらしい。余談だが、TBSラジオの「生島ヒロシのおはよう一直線」にコメントしにちょくちょく出させてもらっている立場からいうと、ラジオのほうがホンネがすらっと出るという意味で、テレビよりよほど楽しい。

 「新・言語学序説」ということから言わせてもらえば、ワイドショーも確かに面白いし、それなりにためになるが、たまには活字媒体にも親しまないといけない。あなたの日本語が、まるでワイドショー化してしまいますよ。この場合の「ワイドショー化」というのは、決してほめ言葉で使っているのではないので、念のため。


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