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月刊年金と住宅2001年7・8月号
新・言語学序説から 第9

「連句について

 昨年の春、松島で全国連句大会が開催される折に、知事として出席を依頼された。通常は、この程度の会合には知事の出席はない。「俺、出るよ」という私の回答に、秘書課の面々は驚いたのではないだ ろうか。

 「この程度の会合」なのに出席すると言ったのは、実は、連句には少しばかり縁があったからである。東京で役人生活をしている頃、仕事の関係で親しかったHさんの紹介で、車 座なる連句の会に連れていってもらった。見様見真似でやらせてもらったら、これが結構面白い。「筋がいいよ」とおだてられれば悪い気もしない。Hさんの狭くて汚い事務所で、 酒を飲み、ワイワイ言いながらの句作りだから、楽しくないはずがない。そんなこんなで、常連になり2年ほど続けたところで、宮城県知事としてふるさとに戻ってきてしまった。

 その後7年間は連句とは全く縁のない生活であった。そこに、全国連句大会への出席の依頼があり、ちょっと出てみようかという気持ちになったのである。

 出席の条件ということでもないのだろうが、発句を詠んでくれと頼まれてしまった。連句は通常発句から始まって、オモテ十八句、ウラ十八句の三十六句詠むのだが、その最初の句を私に作れというのである。あまり深く考えずに出したの が「松島にひかり集めて春きざす」というものであった。

 松島での連句大会では、私の出番は全国からやってこられた方々に、知事として歓迎のご挨拶をするだけであった。実際に句作りに参加するわけではなかったが、私の発句を受けて、10以上のグループが、それぞれ詠み連ねてくれる。これはこれで、気分のいいものではあった。

 そんなことで、再び連句に巡り会い、狩野康子さんとお知り合いになった。狩野さんはこの全国大会を地元主催者として仕切った人である。東京で車座をやっていたときの師匠である水壷先生(筆名。実は、本名を知らない)をご存知で、彼を仙台 に呼んでの連句の会に私を誘ってくれた。水壷先生の「言祝がむ花の六十二万石」の発句に、私が「四百年の春のあけぼの」と付けていったのだが、私は日程の都合で最後まで見届けずに失礼することになった。これが契機となり、連句を再開することになったのである。


 前置きがえらく長くなってしまった。ともかくも、狩野康子さんのご指導で、ここ仙台で連句を楽しんでいる。2、3ケ月に1回、夕刻に市内のそば屋の2階に6、7人集まっての句作り。余談だが、そば屋の2階というところがいい。自宅からとれる野莱と、ご主人が釣ってくる魚と、知的障害者の施設で作る豆腐がメインの素晴らしい食事。完全貸切りの二階の座敷での会合なので、出来上がった句は一句ずつメンバーの佐藤千賀子さんが短冊に見事な筆で書いて壁に張り出していくことができる。料金もお手頃。酒も旨い。

 捌(さばき)は、毎回、狩野さん。連句では、ここは恋の句、ここは花の句、ここは月の句という指定席がある。句ごとに季節の指定があり、季節なしの句もある。前の句からの連想はいいのだけれど、言葉や情景であまりにもくっつき過ぎるのはいけない。こういった指定をし、ルールを管理するのは捌の役目である。もっと大事なのは、参加している各人から出される句の中から、一番いい句を選ぶということ。まさに、そのようにして連句の座をさばいていくのである。

 連句のルールを知らない、句作りの基本を知らない私の武器は、スピードである。文字通り、下手な鉄砲数打ちゃあたることを期待して、狩野さんのさばきに委ねる。「これはちょっとね…」と押し返されても、めげずにすぐ出し直す。お酒が回ってくると、このペースはますます上がる。


 もうひとつ得意なのが、恋の句である。「次は恋の句の座ですよ」と狩野さんから声が掛かると俄然張り切ってしまう。メンバーは全員私より年上で、ほとんどが女性。 私のなまなましい恋の句について来れない人も何人かいる。「得意」とは本人が思っているだけで、本当は顰蹙を買っているだけなのかもしれ ない。

 今年の1月に痔の手術をしたあとに、最初に囲んだ座では、最初の句からずーっと痔に関する句を出し続けた。狩野さんは全然取り上げてくれない。やっと取り上げてくれたのは、光子さんの「宴のあとの気だるさに酔う」の短句に付けた、「痔の手術若き看護婦事務的に」の長句である。一つ取り上げてくれたので安心し、以後は「月涼し山越え響く乱れ打ち」といった比較的格調の高い句を作ることができた。

 連句は俳句と違って、季語がなくてもいいし、カタカナ使用も構わない。だから、「葬送の曲は決めてるプレスリー」という長句とか、「ハッピー.アワーズロンリー・イヤーズ」などという短句も採用になるのである。ちなみに後者はプレスリーのほとんどヒットしなかった「夏に開いた恋なのに」という歌の一節で、むりやり訳せば「幸福の数時間、寂しさの数年間」というもの。ところで、連句では五・七・五が長句、七・七が短句。これが交互に繰り返されて三十六句や百句と連なっていく。


  さりげなく「光子さん」と書いたが、私の妻である。三回目ぐらいから参加。「連句なんて全くできない、私見ているだけ、食べてるだけ」と言いながらも、時々句を出す。もっとも、隣で私が相当入れ知恵してやっていることも事実である。

 それにしても、五十歳を越えて初めて妻と共通の趣味を持つことができた。これはこれでめでたいことである。俳句は個人プレーが基本だとすれば、連句は団体戦である。団体でやることの楽しみがある。私たちが囲んでいるこの連句の会は、最初から最後まで、笑いっぱなしである。酒を飲みながらの句作りは、ひょっとしたら俳句の世界では許されざる所業なのかもしれないが、少なくとも私にとっては、酒の肴に連句をやっているという気分である。そういうのもアリなのがいい。

 ということで、連句はいいのである。こんを言葉の遊びが成り立つなんて、日本語ならではのものではないか。日本人に生まれてよかった。「新・言語学序説」というタイトルにだって、ちゃんと合致しているではないか。どうですか、あなたも連句を始めませんか。


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