![]() 新・言語学序説から 第7回 「DJついて」 毎週水曜日の午後7時半から30分間、地元のコミュニティFM「ラジオ3」で「シローと夢トーク」という番組を持ってから3年になる。「シローと」というのが、「史郎」と、「素人」をかけている。ともかく、この素人が図々しくもDJとやらを務めているということである。 番組でかけるのはエルヴィス・プレスリーの曲だけ。話す話題もエルヴィスに関するものだけ。最近はもっと徹底して、エルヴィスの曲に関することだけ語っている。当然ながら、 中学3年生の頃から今に至る、エルヴィス・ファン歴40年の私とすれば、番組でDJをやっている時間は至福のひとときである。高校生の頃は、エルヴィスのレコードを自分の部屋でかけながら、一人で「DJごっこ」をやっていた時期もあったのだから、夢が叶ったと言っていい。 高校生の頃の日課は、学校から帰宅するとすぐに自室でエルヴィスのレコードを10曲ぐらいかける。レコードのジャケットに書いてある歌詞を見ながら曲に合わせて歌う。私の英語はこうやって覚えたので、どうしてもエルヴィスの南部なまりが抜けないなどと言っていたこともあるが、もちろんそれは冗談である。 . 「シローと夢トーク」は始まって3年だから、回数にして150回ほどになる。1回に4,5曲かけるが、エルヴィスの持ち歌は669曲あり、種切れにはならない。例えばゴスペル特集とか、地名にちなんだ歌とか、女の子の名前が出てくる歌とか、持ち歌の中からそういったものを探してきて、毎回「なんとか特集」に仕立て上げる。番組で使うCDはすべて我が家から持ち込む。したがって、構成、出演、CD提供とすべて私がやるという徹底した自作自演の番組になっている。 番組では、かける曲だけは決めてあるが、あとは完全なぶっつけ本番である。演奏中の曲には声はかぶせないという主義を貫いている。エンディングの「今夜はひとりかい」3分07秒、その前の1分のコマーシャルは最後の曲から直接つなぐ。ということで、最後の曲をかけるタイミングが何分何秒と決まってくる。そのタイミングでしゃべくりを終えることが必要である。そのことだけ気をつけて、あとは自由にしゃべっているだけ。
自分の番組を録音しておいたものを聞くのも私の趣味である。自分の語りを何度も聞くことになる。そんなに真剣にチェックする気持ちはないのであるが、語りの中の悪い癖などは直す契機にはなる。これとて一つの言葉修行になるはずである。 番組では、エルヴィスの歌のうまさを語る。声がいい、リズム感が抜群、説得力がある。だが、待てよ。説得力があるといっても、聴いている人は日本人であり、英語がそんなに聴き取れる人ばかりではない。歌詞の意味もわからずに、説得力があるもないもんだ。というわけで、最近の番組では、歌詞の日本語訳を紹介することが多くなった。 恋の歌でも失恋なのかそうでないのか、わかったほうが味わいがある。メッセージソングといって、歌っている内容に意味があるものについては、とりわけそのメッセージが伝わらないでは困る。自分のリクエストした曲が恋の歌だと思っていたら、神への愛、つまりはゴスペルだったということに初めて気が付いたというゲストもいた。これも、番組で私が歌詞の紹介をしたからである。
このオープニングの「夢の渚」は3年間ずっと変わらず。エンディングの「今夜はひとりかい」も同様。オープニングの曲に乗せて今夜の特集の内容予告や、電話・FAXによるお便りの紹介をする。1分間のコマーシャルのあとにいよいよ内容が始まる。全く準備もしていないぶっつけなのに、流れるような(と本人は思っている)解説が次々と繰り出される。だって好きなんだもん、というしかない。エルヴィスの曲も、そしてこうやってしゃべることも。 4曲ないし5曲かける。がんばって6曲かけたときは、これがほんとの「ロック」なんて言いながら。3回に1回はゲストをスタジオに呼んでやっていたが、その場合でも、ゲストにはほとんどしゃべる余裕を与えずに、私が一人でしゃべりまくっていた。 3年間150回で1回4曲としても、600曲かけた勘定になる。いったい毎回何人の人が聴いていたのかわからないが、10人であっても「DJごっこ」をやっていた頃のことを思えば夢のようである。一人でも二人でも、その中からエルヴィス・ファンが誕生してくれたら、こんなうれしいことはない。 ほんとうに楽しかったの一語である。なんでそんなに過去形でばかり書くのかと思われるだろうが、実は、番組は3月28日をもって終了したのである。気持ちとしては「しばし休業」ということだが、後のことはわからない。 今回は「新・言語学序説」とはほとんどかけ離れた内容になってしまったようだ。ちょっぴり反省はしている。1977年8月16日、42歳の若さで亡くなったエルヴィス・プレスリーに免じて許して欲しい。 |