新・言語学序説から 第6回 「カタカナ言葉について」 言語学序説を書いている者としては、わけのわからない日本語を聞いたり見たりするといらいらする。「日本語」と書いたが,今回書きたいのは日本語でない日本語,和製英語のことである。
センス、タイトル、エッセイ、テーマ、ジョギング、キャッチフレーズ、ペン・ネーム、アクセント、イントネーション、バイリンガル、コンタクト、ファンクラブ、ツアー、エコノミー、リピーター、ヴァージョン、ゴスペル、コーラス、ヒアリング、マスター、シンポジウム、アピール、ルール、コーディネーター、ストップ・ウオッチ、ポーズ、ゲーム、スピーチ、スケジュール、サービス、プレッシャー、リーダー。以上。 ジョギング、アクセント、ファンクラブ、ストップウオッチ、ゲーム、サービスなどは,日本語に直せないか、直すとかえってわからなくなる。だけど,ほかのものは,確かに日本語に置き換えられるかなとも思う。 思い出すのは,あるシンポジウム(そもそも、これが置き換え困難)で私がコーディネーター(これは「司会者」でいいか)を務めたときのこと。シンポジスト(これは完全な和製英語)にお願いをしてみた。ご発言の中でカタカナ外来語を使ったら、一回あたり百円を罰としていただくというものであった。結果は、惨憺たるもの。発言者からは、次から次とカタカナ言葉が飛び出してしまって、それに気が取られてまるで議論にならなかったのである。 軽井沢に一泊して、翌朝ジョギングをしたときに、道路際の看板が目に付いた。「KARUIZAWA JOBA CLUB」とある。もちろん、私にはこれがどんな意味かはわかる。でも、なぜ単純に「軽井沢乗馬クラブ」と書かないのだろうとの疑問がわいた。そもそも、どういった人たちを対象にした看板なのか。外国人が対象なら、「JOBA」では伝わらない。 そこで、はたと気が付いた。別に、伝えたいわけではないのだ。これは、文字ではなくて、絵なのだ。なんとなく、かっこ良さそうな、外国人もやってきそうな乗馬クラブと思わせる効果はあるかもしれない。そう考えれば納得できる。しかし、やっぱり、なんか変だ。 観光バスも気になるもののひとつである。バスの横腹に、文字が連なっているが、横文字だらけである。外国人観光客のために書いてあるのではないらしい。なぜかというと、その横文字は日本語をそのまま横文字(ローマ字)にしたものだからである。「NANTOKA KANKO」のたぐいである。多くの場合、日本語がどこにも見当たらない。これは不便である。観光バスを利用するのは、お年寄りが多いのだから、トイレ休憩してバスに戻るときに迷ってしまったら、横文字苦手なお年寄りはどうやって自分の乗るべきバスを見分けるのか。 文字、言語というものは、他人に情報を伝えるためのものという、あたりまえのことに立ち返らなければならない。カタカナ言葉を使うなという単純なことではない。相手を見て、状況を勘案して言葉は使用されるべきである。医学会での講演なら、カタカナだらけの学術用語を駆使した話で結構。しかし、幼稚園の園児を相手に四文字熟語だらけの話をする、老人クラブの集まりで外来語をふんだんに散りばめた話をするのは、いかがなものだろうかということである。 私は、この連載の読者は、相当の知的水準を持ち、若若しい言語感覚をお持ちの方ばかりだと信じている。だから、安心してカタカナ言葉を使ってしまっているのだが、でも、やっぱり、今回のような文章を書いてしまったあとは、そうもいかんのだろうな。これも文章修行、これからも心して言葉を使いたいと思う。 [TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク] (c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org
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