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新・言語学序説から 第6回

「カタカナ言葉について」

 言語学序説を書いている者としては、わけのわからない日本語を聞いたり見たりするといらいらする。「日本語」と書いたが,今回書きたいのは日本語でない日本語,和製英語のことである。

 わが宮城県庁でも,文書の中にわけのわからないカタカナが使われることがある。NPOの活動に青少年の参加を促すという施策に、担当は「NPOユース・インボルブメント事業」と名称をつけてきた。そんな名前では、六五歳の方はもちろん、青少年だってなんのことやらわからないのではないだろうか。そう言って「NPO・青少年協働促進事業」と変えさせた。

  これまた宮城県の実例を引いてしまうが,「マナーアップみやぎ」という交通標語も気になって仕方がない。どうやら「交通マナー(作法,行儀)をよくしましょう」と言いたいらしい。

 この用例の基本的な誤解は、「アップ」を動詞と思い込んでいるところにある。このような誤用は,かなり一般的である。「支持率がアップした」とか,平気で使うが,「アップ」が動詞として使われる用法は、ごくごく限定的である。通常は動詞プラス「アップ」という形で使われる。
 
  このような誤用ということでいえば、例は限りなくある。ひとつは、「ジンクス」。これは、悪運,縁起の悪いものという意味であって、決していい意味では使われない。「私が行くといつも上天気っていうジンクスがあるの」は典型的な誤用である。また、「俺って意外とナイーヴなんだぜ」という具合に、「ナイーヴ」を「繊細な」というつもりでアメリカ人に言うと、怪訝な顔をされるだろう。「世間知らず,単純、だまされやすい」というけなし言葉として使われるのがほとんどだからである。


  えらそうに書いてしまった。あなたはどうなのか聞いてみたいと言われそうである。そのとおり。長野県で田中康夫知事が誕生したときに,地元の新聞社から取材されて発言した。その記事が載ったら、読者からご批判のお手紙を頂戴してしまった。「短い発言の中にカタカナ言葉が一杯。浅野さん、最近急にえらそうになってしまったようだ」という六八歳の男性からの苦言である。
 
  改めて自分の発言の載った新聞記事を読み返してみた。「キーワード、アンチテーゼ、センス・オブ・ワンダー」と、カタカナが並んでいた。最後の言葉には,(驚きを感じる感覚)と説明はつけていたのだが、そもそもそんな訳のわからん言葉を使うなということなのだろう。


  はっと気が付いて、この連載の自分の文章を読み直してみた。エルヴィス、アメリカのような固有名詞,ラジオ,テレビといった「日本語」を除いて,全部を抜き出すと次のようになる。たかだか五回の連載でこれだけになるということで、自分自身で驚いてしまった。

  センス、タイトル、エッセイ、テーマ、ジョギング、キャッチフレーズ、ペン・ネーム、アクセント、イントネーション、バイリンガル、コンタクト、ファンクラブ、ツアー、エコノミー、リピーター、ヴァージョン、ゴスペル、コーラス、ヒアリング、マスター、シンポジウム、アピール、ルール、コーディネーター、ストップ・ウオッチ、ポーズ、ゲーム、スピーチ、スケジュール、サービス、プレッシャー、リーダー。以上。 ジョギング、アクセント、ファンクラブ、ストップウオッチ、ゲーム、サービスなどは,日本語に直せないか、直すとかえってわからなくなる。だけど,ほかのものは,確かに日本語に置き換えられるかなとも思う。

  思い出すのは,あるシンポジウム(そもそも、これが置き換え困難)で私がコーディネーター(これは「司会者」でいいか)を務めたときのこと。シンポジスト(これは完全な和製英語)にお願いをしてみた。ご発言の中でカタカナ外来語を使ったら、一回あたり百円を罰としていただくというものであった。結果は、惨憺たるもの。発言者からは、次から次とカタカナ言葉が飛び出してしまって、それに気が取られてまるで議論にならなかったのである。

 
  それにしても、なぜこんなにも外来語を使いたがるのだろうか。確かに「えらそうに」見せたいということもあるとは思う。なんとなく、横文字だとカッコよさそうだということもある。後者については、ちょっと言いたいことがある。

  軽井沢に一泊して、翌朝ジョギングをしたときに、道路際の看板が目に付いた。「KARUIZAWA JOBA CLUB」とある。もちろん、私にはこれがどんな意味かはわかる。でも、なぜ単純に「軽井沢乗馬クラブ」と書かないのだろうとの疑問がわいた。そもそも、どういった人たちを対象にした看板なのか。外国人が対象なら、「JOBA」では伝わらない。

 そこで、はたと気が付いた。別に、伝えたいわけではないのだ。これは、文字ではなくて、絵なのだ。なんとなく、かっこ良さそうな、外国人もやってきそうな乗馬クラブと思わせる効果はあるかもしれない。そう考えれば納得できる。しかし、やっぱり、なんか変だ。

  観光バスも気になるもののひとつである。バスの横腹に、文字が連なっているが、横文字だらけである。外国人観光客のために書いてあるのではないらしい。なぜかというと、その横文字は日本語をそのまま横文字(ローマ字)にしたものだからである。「NANTOKA KANKO」のたぐいである。多くの場合、日本語がどこにも見当たらない。これは不便である。観光バスを利用するのは、お年寄りが多いのだから、トイレ休憩してバスに戻るときに迷ってしまったら、横文字苦手なお年寄りはどうやって自分の乗るべきバスを見分けるのか。

  文字、言語というものは、他人に情報を伝えるためのものという、あたりまえのことに立ち返らなければならない。カタカナ言葉を使うなという単純なことではない。相手を見て、状況を勘案して言葉は使用されるべきである。医学会での講演なら、カタカナだらけの学術用語を駆使した話で結構。しかし、幼稚園の園児を相手に四文字熟語だらけの話をする、老人クラブの集まりで外来語をふんだんに散りばめた話をするのは、いかがなものだろうかということである。

  私は、この連載の読者は、相当の知的水準を持ち、若若しい言語感覚をお持ちの方ばかりだと信じている。だから、安心してカタカナ言葉を使ってしまっているのだが、でも、やっぱり、今回のような文章を書いてしまったあとは、そうもいかんのだろうな。これも文章修行、これからも心して言葉を使いたいと思う。


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