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新・言語学序説から 第3回

「英語について」

 2000年の夏休み、思い切ってアメリカに行くことにした。秘書課の皆さんの配慮により、お盆休みを長く取ることができたのである。

 実は、計画のほうが先にできていた。知る人ぞ知る、私はエルヴィス・プレスリーの大ファンなのである。ファンクラブにも入っていて、会員番号は、4600番。そのファンクラブの会報で、「メンフィス・ツアー」を知ったのが、その計画のきっかけであった。

 エルヴィス・プレスリーは、1977年の8月16日、テネシー州メンフィスの自宅、グレイスランドで42歳の生涯を閉じた。その命日に墓参りに行こうというツアーが毎年企画されているが、今回は私の目にしっかりと留まったということである。

 「行ってみようじゃないか、妻も誘ってみようじゃないか、休みもしっかり取ってやろうじゃないか」と思い定めたところ、妻もOK、休みも取れそう、残りは予算の算段だけ、ということになった。ツアーだし、飛行機は往復ともエコノミーだし、そんなに莫大な予算にはならないことが分かったので、「決行」とあいなった。

 総勢21人のツアーのうち、もう一組の笠原夫妻と、他二人が初めてというのを除き、残りの15人はいずれもリピーターであることに、まず驚いた。エルヴィスと同じ年に生まれた千葉さんは30回ぐらい、それよりは若い伊藤さんは9回目、その他、リピーターは全員女性であるが、命日だけでなく、1月8日の誕生日にもメンフィスに出向く人も少なくない。熱狂的なエルヴィス・ファンを自称していた私であったが、とてもとても彼女たちの足元にも及ばない。

 この辺のことは、日記風に別途原稿として書いたので、ここではこれ以上は書かない。ともかく、エルヴィスゆかりの地を訪ね歩き、世界各国からやって来た何万人の人たちとともにエルヴィスのことを偲び、歌を聴き、映画を見た。私にとっては、大満足の旅行であった。エルヴィスの偉大さを改めて認識し、私のエルヴィス・ファン指数は何段階かまた上がったようである。旅行は大満足であったが、一つ不満だったのは、あいかわらず英語の聞き取りができないことを再認識させられたことである。

 メンフィスに着いた次の日の晩には、30年近く前に全世界で上映されて評判の高かた「エルヴィス・オン・ステージ」の新ヴァージョンを見た。未公開の5万フィートに及ぶフィルムを再編集したという力作で、それはそれは感動した。日本から一緒に行った仲間も、涙、涙といった状況であった。映画の中のキャー、キャーと劇場内のキャー、キャーとが渾然一体となる。その熱狂のるつぼの中に私も坐っていた。

 観客が大爆笑をする機会が何回もあったが、私はさっぱり面白くない。映画の会話が聞き取れないから、笑いようがないのである。今回に限ったことではない。字幕なしの映画ではいつもこうなのであるが、それを再び確認することは愉快ではない。

 ツアーの3日目には、黒人が居住している地区の教会にでかけた。信徒も、説教をする牧師も、ゴスペルを歌うコーラス隊も全員黒人である。その牧師の説教がほとんど聞き取れない。わからない。あせってしまう。教会を出てから、ツアーの添乗をしてくれている白人のおばさんのB・J・レミーが「あの牧師の英語は、私にもよく聞き取れない、黒人独特の言い方なので」と言っていたので、少しは安心したが、自分の英語聞き取り能力のなさに改めてがっくりとする場面だった。

 私は、英語はできないほうではない。読む、書く、それに話すのもそこそこできる。聞くのだって、面と向かって、または少人数の会合での話はかなりの程度理解できる。TOEFL、TOEICのヒアリングの問題はほぼ完璧に答えられる。問題は、映画、テレビ、舞台などでの会話の聞き取りが極めて不得意なことである。

 なにしろ、私は合計5年間のアメリカ暮らしの経験者なのである。20代に2年間の留学、30代に3年間の大使館勤務、英語ができないなどと言っていられる立場ではない。だからこそ、とても恥ずかしいという気になる。

 英語を聞くときは、私の耳にはまずカタカナで入ってきて、それを頭の中で改めて英語に直すという作業をしているような気がする。カタカナが邪魔なのである。ナマリのきつい人が標準語を話すときに悩むのは、標準語がわからないということではなくて、自分のナマリが邪魔になるということと一緒だと思う。英語に関しては、ず−っと学んできた。今にして思えば、どうもこの「学ぶ」というのがよくなかったのではないか、という気がしてならない。

 仙台市出身でシドニー滞在のマリコさんがかかわっている騎手の訓練センターでの話が、私にはとても示唆に富んでいると思えた。

 日本から20歳前後の騎手のタマゴがオーストラリアにやってきて、そこで訓練を受けている。そこに来るまでは、英語などほとんどできなかったという青少年たちである。それが、短い間に英語をマスターしてしまう。訓練では、もちろん英語しか使わない。彼らは、英語を覚えようとするのではなく、馬の動かし方を学ぼうと必死なのである。現場で実地に、馬を介して英語が使われる。身体で覚える英語とは、こういうことであろうと思う。

 身体で覚えるといえば、私にも経験がある。私は、車の運転はアメリカで覚えた。免許もアメリカで取った。車のスピードと距離の感覚はまずマイルで身につけた。これが時速35マイルか、150マイルとはこのぐらいの距離か、といった具合である。日本に帰ってからはkm表示を頭の中でマイルに換算して車に乗っていた。

 結局、ことばを覚えるというのは、こういうことである。氷を触った赤ん坊の耳に「つめたい」という音声が聞こえてきて、その経験とともに言葉が身についていく。英語についてそんな原体験を持たない人間が、英語を使いこなせるようになるはずがない。そうまで言うのは乱暴であり、開き直りだという声も聞こえてくるが、いつまでたっても英語の聞き取りが十分にならない私の言い訳として言わせて欲しい。


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