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新・言語学序説から 第2回

「方言について」

 方言がなくなつたことを実感したのは、私が宮城県知事として仙台に帰ってきた平成5年のことであった。父親たる私の転勤(こういうのも「転勤」というのだろう)にともなって、娘の聡子も東京の私立女子大学の付属小学校から転校を余儀無くされた。

 仙台での新住所は、数年前の学区再編で木町通小校の学区に編入されていた。私たち姉弟三人の卒業した学校である。しかも、母、その母、その父も卒業生で、聡子が五代目になる。聡子の卒業式に参列して、そんなことを考えていたら、涙が出てしまったとかなんとか、別のエッセイで書いた覚えもあるが、それはさておき。

 聡子はいじめられるのではないかと、父親たる私は心配した。言葉の問題である。聡子が東京ことばをしゃべったら、「こいつ、気取ってる」とか「俺らと違うことばだ」と見られるだろう、だからいじめられるだろうということである。

 全くの杞憂であった。同級生が心優しかったからではなくて、その同級生たちみんなが、聡子と同じようなことばを話すから、違いが日立たないのである。時代が変わつたことを実感した。転勤族が多い土地柄だろうかと思ったが、それよりも何よりも、テレビの影響だろう。全国どこでも、子どもたちは、テレビで話されているような日本語を話す。

 私の子ども時代は、そうではなかった。仙台は、ズーズー弁というよりは、無アクセント言語の地域である。世の中にアクセントというものがあることすら理解できていないのだから、直すのがむずかしい。

 私にとっては、アクセントも正しくつけて、流れるようなイントネーションで語られる「標準語」、「東京ことば」は、それだけであこがれの対象であった。小学校時代、東京方面から転校して来る子は、男も女も、みんな素敵で、賢そうに見えた。もちろん、転校生のほとんどは、仙台に支店がある一流企業のお坊ちゃま、お嬢様なので、中身も備わっているのは当然ともいえる。標準語をしゃべるのに、実はトロい人間もいるということを知ったのは、その後、東京の大学に入って、標準語を話すさまざまな人間に会ってからのことである。

 あこがれは劣等感の裏返しである。仙台弁は東京弁より劣った言語という感じ方が、幼心にもあった。ズーズー弁は、映画やテレビでは嘲笑の的、かっこいい人は、決してズーズー弁はしやべらない。同じ頃、秋田県では「標準語む許す運動」のようなものがあった。裏返せば「ズーズー弁を話さない運動」である。わが仙台では、そんな運動がなかったのは、今となってみれば幸いであった。

 そこで、ズーズー弁のこと。宮城県でも、仙台市を離れたところでは、顕著である。特に、60歳以上の方々がしゃべる「正統派」ズーズー弁は、私にとっては、しゃべることはもちろん、聞き分けもむずかしい。シとス、チとツの区別がつかない。「築地の地図を知事へ」は「ツツヅのツヅをツヅヘ」となってしまう。

 ほんの先日のこと。中小企業関係の方々との内輪の懇談があった。私以外は60歳超。私の左側に坐った仙台のCさんが、大きな梨の話をしている。カボチャみたいに大きくてとてもうまいという。右側のGさんは、仙台の南の郡部の出身、野菜果物の専門家だ。そのGさんが食べ方指南を始めた。「八つに切って、バターをつけるんだな」。その辺からちょつとおかしいなと思い始めた私。「そいづを焼くんだ、こってりと」。Gさんはナスの話をしていた。

 北海道は方言のないところらしい。札幌あたりの人は特にそう信じている。ところが、方言はある。「いずい」という翻訳不能の形容詞は、仙台近辺だけの方言かと思っていたら、札幌でも大手を振って使われていた。右利きの人が左手で作業をする時に感じるような、「居心地が悪い」、「すっきりこない」という意味である。仙台と札幌の違いは、仙台の人は全員これを方言と自覚しているが、札幌では半分ぐらいの人が標準語と思い込んでいること。

 15年前に北海道庁に出向していた。上の娘が小学校の給食で「ザンギが出た、初めて食べた」と報告をした。「ひょつとして、鳥の唐揚げに似てなかったか」と聞いたら、「そういえばそうだった」とのこと。

 そうなのである。「ザンギ」は、北海道だけで通じる鳥の唐揚げの別称。「課長、この前、出張の帰りに上野の駅の食堂で、ザンギを注文したら「うちにはない」っていわれた。東京にはザンギないんすかね」と課員の嘆き。これは15年前の話で、今は、ザンギは北道だけの言葉ということは理解されているとは思うが……。

そうだ。当時、私は若い課長だった。課内で会議をしていると、課員に「課長、その案でいいんでないかい」といわれる。内心、「俺が若いと思って、見下したいい方をしているな」と思いながら、じっと我慢をしていた。「本州」で言語生活を送った人間としては、「かい?」という疑問の接尾語は、対等か目下の人にしか使わない。

 その後、知事(当時は横路孝弘知事の一期目)にご説明に行った際、課長補佐が知事に「知事、これでいいんでないかい」というのを聞いて、モヤモヤが解消した。北海道では「かい?」は相当目上にも使うんだということ。それにしても、ここにも自分たちの言葉が全国標準的用語法と信じている北海道人の姿が見られる。

 仙台に戻ってきて七年。仙台弁をしやべるのは、二ヵ月に一回開いている高校の同期会の場だけだったのだが、今では、地元の人との非公式の会話は、完全に仙台弁になってしまった。地元のFM局で毎週、私がDJを務める番組は標準語だし、あらたまればちゃんと標準語はしゃべれる。つまりはバイリンガル。

 仙台弁をしゃべれるのに、しゃべっていいのに、標準語もどきでしゃべるのが気恥ずかしい、というぐらいにはなってきた。無理な標準語は、はげなのにアデランス、近眼なのにコンタクトといった感覚で、少々「いずい」。

※この原稿は、基本的には標準語で書いた。


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