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新・言語学序説から 第1回

「言葉について」

 本誌の編集長の竹下隆夫さんと、さる会合で久し振りに会った。その際に、「年金と住宅に原稿お願いできませんか」と、いきなりいわれてしまった。「年金と住宅」は、写真もきれいで、編集もセンスがあるし、私の気に入っている雑誌なのだが、随筆もどきを他の雑誌に連載中のこともあり、「とても、とても」とお断りをした。

 ところが、ところが、さすがセンスある編集長である。「『ことば』をテーマにしたエッセイをお願いしたい」と来たもんだ。これには、グラグラとなってしまった。「言葉」というのは、私にとっても興味あるテーマではある。「テーマ」といった大層なものではないのだが、ともかく、興味はある。「一丁やってみるか」という気にさせられてしまった。

 ということで、この連載である。10年以上も前のことになるが、本誌には「ふぞろいの明日」というタイトルで、私の出会った魅力的な人たちのことを、一回お一人ということで、約三年、連載させていただいた。もっぱら障害福祉の分野の人達を取り上げさせてもらったが、短い文章でその人の魅力を伝えることのむずかしさを感じながらも、私にとってはいい文章修行になった、と思い返している。

 今回の「新・言語学序説」とは、「なんとも大げさなタイトルだが、これも「言葉」の遊びとお許し願いたい。敬愛する故・山口瞳さんが、競馬評論家の赤木駿介さんと著した「日本競馬論序説」(1986年、新潮社刊)も念頭にあった。彼らの著書はともかく、私のほうは、タイトルと内容とにほとんど関連がないことを、あらかじめお断りしておかなければならない。

 竹下さんに、「ことば』をテーマに」といわれて、エッセイ執筆に心を動かしてしまったのには理由がある。単純に、私は言葉に興味があるからである。駄洒落のたぐいではあるが、私がことばあそび、ごろあわせにも並々ならぬ関心があることは、私を知る人は、辟易しながらもご承知のことと思う。読む人、聴く人の感想を全く度外視しているものの私は書くこと、話すことが嫌いではない。これも、言葉への興味のなせる業と言えないことはない。

 一回限りではない、連載だということを改めて思い返している。私の場合、書くことの苦痛のほとんどは、テーマを何にするかを決めることにある。ところが、ことばについてということで考えてみたら、書きたいことが次々に思い浮かぶのである。

 先日、早朝ジョギングをしていた。いつもながら、よしなしごとを考えながらのことである。ふと、「ことばについて」で書きたいことが頭に浮かんだ。そうしたら、どんどん湧いてきたのである。方言、外国語、書きことばと話しことば、駄洒落、連句、キャッチ・フレーズ、失言、ラジオ放送……。これらに、「について」とつければ、それで一回分ぐらい書けそうな気がしてきた。

 ところで、その「……について」だが、毎回のタイトルはこれでいこうと考えている。今回は、そのものずばり、「ことばについて」にした。「蒼窄の昂」以来、浅田次郎さんの著作を愛読しているのであるが、彼の痛快エッセイ集「勇気凛々ルリの色」のタイトルが、すべて「について」であることがネタ元である。 

 浅田さんの小説の折り目正しい日本語の文章には深い感銘を受けるのであるが、この「勇気凛々〜」のほうは、ただただめちゃくちゃに面白い。「ことばについて」を深く考えさせられるエッセイでもある。話の展開と文章のうまさに舌を巻く。こんなエッセイを読んでしまうと、自分が書く勇気はなくなってしまう。そうではあるが、あちらはプロ、私はアマと開き直れば済むこと。始めから勝負する気などないのだから、淡々と書くだけのことである。

 それはともかく、「〜について」というタイトルで半年先まで決まっているのだから、気楽なものである。

「気楽なものある」と書いたところで、ハタと気がついてしまった。2800字というのは、私にとっては結構長い原稿だということに、である。ふだん、10kmしか走らないで、身体もそれに馴れてしまっているのに、14km走れといわれているようなものだ。ともあれ今回は、残りを埋めなければならないので、回文についてを書く。

 「たけやぶ焼けた」、

 「この子猫の子」

 といった言葉遊びは誰でも知っているだろう。上から読んでも下から読んでも同音の言葉、これが回文。

 「キャラメル噛み噛みカルメラ焼き」

 というのが長いほうと思っていたら、この5倍はあろうというものもある。この道、奥が深いのである。

 当地、仙台の弁護士で内田正之さんが、この道の名士である。「平成の回文士」と名乗りペン・ネームが法曹爽歩。いうまでもないが

 「ほうそうそうほ」

と、これも回文である。 

 仙台市民オンブズマンの一員としても活躍していて、私にとっては「敵」(しかし、「必要な敵」)ではある。宮城県庁が、カラ出張など不正経理問題で揺れていた時の彼の作品には、悔しいながらも感心させられてしまった。

 「宮城野についぞいらなき 倖はせは悪しき慣習(ならい)ぞいつに退きやみ」

というものである。それにしても、ちょっと長過ぎる。覚えられない。

 私には、

 「知事の工夫、幸福の自治」

のほうが、内容的にも、覚えやすさからも気に入っている。知事仲間の北川三重県知事や、橋本高知県知事にも教えてやった。 

 知事一般ではなく、私にだけあてはまるものも、法曹爽歩さんは用意してくれている。

 「自治の差あると悟る浅野知事」

というもの。平仮名をふって読んでいただいた方、ありがとう。間違いなく、回文になっていることをご確認のことと思う。 

 これも、言葉遊びの面白さである。今回は、回文というわかりやすい事例から、「ことばについて」なぜ私が興味を持つに至っているかの一端を知っていただけたかと思う。こんな感じで、連載を続けるつもりなので、これからもお付き合いのほどを。


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