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河北新報2006.2.9
疾走12年から 第3回

選挙

「無党派」で常識覆す

あり得ない光景
 知事に就任して4年経ち、再選を目指しての選挙を迎えた。この選挙では、政党の推薦も団体の推薦も受けないでやろうと考えた。「一人ひとりが主役の選挙」を実現するためには、候補者と有権者が直接向かい合う形をとらなければならない。当選後に、しがらみのない県政を作りたいとの思いも強かった。

 (仙台市地下鉄)泉中央駅近くで選挙演説をしている時に、私の周りにほとんど人がいない。現職知事が再選を目指す選挙では、絶対にあり得ない光景である。「今、自分は誰もできないような選挙をしているのかもしれない」との感慨を覚えたのを思い出す。

 その光景を見ていた人たちの中に、「自民党、新進党にかつがれた相手候補に比べて、なんと非力なんだろう。これでは、シローちゃん負けちゃう」という危機感が生まれた。そこから「私も選挙にかかわりたい」との思いが発生し、百円カンパ、青い旗作戦、勝手連、車座集会が全県に広がっていったのだろう。

 これが無党派選挙の原型だと私は思っている。政党の推薦を受けないという形だけではない。素人でも選挙にかかわっていい。そのことが、すんなりと受け入れられる選挙であった。選挙が終わってお礼を申し上げる私に対して、「こちらこそありがとう」の言葉を返す支援者が多かったのも、生まれて初めて選挙応援したことが、忘れがたい体験になったからかもしれない。

土壌に貸し借り 
  組織を固め、地域を固めて票を積み上げていくこれまでの選挙手法を「ブロック積み上げ型」とすれば、無党派選挙はつかみどころがない。気仙沼の夏祭りにちなんだ「はまらいんや型」と呼んでもいい。選挙は専門の関係者だけがするものという常識が覆された。その結果が62万票対31万票で大勝だったことも含めて、私にとっては会心の選挙であった。

 政党からの推薦をお断りするのは、大変な作業であった。「なぜだ」「生意気だ」「政党がからまない選挙などあり得ない」などなど、非難続出。政党には一歩退いてもらって、一般県民が入り込むすき間を作ってほしいということなのだが、なかなかご理解いただけなかった面もある。

 団体の推薦を受けないことは、大きな意味を持つ。ゼネコン汚職を生んだ土壌は、選挙での貸し借りを通じて作られていく。腐った土壌に咲くあだ花になりたくなければ、土壌改良事業が必要である。

 そんな危機感もあって、有力団体とは距離を置くことにした。当選後は、選挙での借りがないので、圧力とは無縁の自由な立場で県政を進めることができるという意味で、ありがたかった。

県民が主体的に  選挙でどう戦うかが、その後4年間の知事としてのあり方を決める。いい知事になりたいと願うところから逆算して、選挙の図式を決めていったのが、再選を目指しての知事選挙の位置づけであった。「選挙は敵よりも味方が怖い」、「選挙の借りは選挙で返す」、「選挙を通じて知事になっていく」。こういった言葉も信奉している。たった3回しか選挙はやっていないが、その限られた経験からも、感じるところは少なくない。

 それもこれも含めて、選挙は大事。一方で、選挙は楽しいし、やりがいがあるとも思っている。初めての選挙で、選挙カーから手を振った私に、手を振り返してくれた人の姿は、今でも忘れることができない。あの瞬間から、選挙大好き人間になってしまった。そんな大事な選挙には、県民は主体的にかかわっていくべきもの。知事を辞めた今も、そんなことだけは願っている。


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