浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

時事評論から2001/6月号から
地方からの発信

「地方分権」

 地方のことは地方で考え、その責任において行動し、結果については良くも悪くも自分たちで引き受ける。そのためには、地方独自の権限と財源が必要。権限に関しては2000年4月の「地方分権推進一括法」による機関事務の廃止などをもって、地方への移譲が進められた。残されたのは財源の地方移譲であるが、これが大変な課題である。

 中央集権の論理は、日本国内どこでも平等・公平にという思想に裏付けられている。必要な行政サービスを提供するために、地方は国の財政的支えを当然と受け止めている。地方交付税、国庫補助金による援助は、地方が国を頼る姿勢を助長し、画一的規制、横並び、思考停止をも促している。

 ある県が行政改革により効率的な行政運営になっても、その県の県税の税率は下がらない。県民の期待は、むしろ知事がうまく立ち回って国から補助金を引き出してくることにより、県民生活が潤うことだ。中央集権システムの下では、これがあたりまえ。納税者としての住民が県政運営の効率化を監視する契機が生まれてこない。これが全国的規模で展開され続けたら、日本はどうなるのか。

 先日、宮城県内のある町で、幼稚園と保育所の合築による施設が開設された。この種の合同施設は東北で初めて。両施設の国庫補助金の出どころが旧厚生省と旧文部省に分かれていたからできなかった。そもそも、なぜ国庫補助金を当てにしなければならないのか。幼稚園、保育所の建設が町の独自財源だけでやれるよう税制、地方交付税の仕組みを作っておけばいいだけの話。

 まず補助金ありきで出発しているから、地方から言えばいかに補助金をうまく手にするかが唯一の関心事。その枠の中でしか考えられない。これは、地方にとっても国にとっても、なにより住民一般にとって不幸なことである。

 いつまでこのシステムを温存していくのか。地方から新しい発想の施策を発信することも一つであるが、国際化の衝撃が中央集権システムの破壊を進めるだろうとの予感もある。国の各省庁とも、地方への補助金分配に時間と労力を割くだけの余裕がなくなるほど、国際化への対応に忙殺されるはず。これは、予言というよりは、もっと切羽詰まった事態ではあるのだが……。


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