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月刊ガバナンス平成23年6月号
続アサノ・ネクストから 第9

ほんものの政治主導とは

 民主党新政権の発足時に、強く打ち出されたのが「政治主導」であるが、これは、政策を進めていくときに、役人ではなくて、政治家が主導権を握るということを意味する。歴代政権が、人事、予算、政策づくりにおいて、役人主導の状況にあったことの反省に立ち、「政治主導」を掲げた民主党政権のねらいは間違っていない。間違ったのは、実際面での運用である。政治主導のはきちがえの弊害が政権運営の随所に出てきてしまった。

 事務次官会議の廃止、役人による記者会見の制限、省内意思決定における事務方の排除などなど、政治主導の名の下になされた「改革」は、役人の萎縮、やる気の喪失、責任回避、面従腹背をもたらし、その結果として、政策策定、政策遂行に多大な支障をきたすに至った。各省においては、大臣が「政治主導」の具現化をという趣で、意気揚々と乗りこんでいったが、大臣の独り相撲に終わり、土俵上で立ち往生という例が、いくつかあった。

 政治主導とは少し違うが、審議会、有識者会議、懇談会などが新規にどんどん設置されている。問題が極めて専門的なものとか、行政的には判断が困難な価値観に関わるもの、政治的な調整を図る場として機能するものなどについては、こういった会議の存在意義はある。しかし、新しい政策を打ち立てるための会議は、やたらに設置するのは避けるべきである。

 たとえば、東日本大震災復興構想会議である。大震災からの復興の青写真を描くということで設置されたものであるが、今頃、そんなことをやっている場合かという疑問が、まず、湧いてくる。今必要なのは、大震災からの復旧の具体的施策である、それを実行することである。復興構想会議では、そういうスピード感は得られない。

 いずれの審議会や懇談会も同じであるが、構想会議に参ずるメンバーは、それぞれの分野での専門家ではあるが、一方で、自分の仕事を持っている。会議での議論に全時間、全精力を費やすことはできない。さらに言えば、議論の結果に、責任を持つこともない。簡単に言えば、命を賭けていない。一方、官僚たち。彼らは、自分の仕事に命を賭けている。フルタイム、ライフロングの仕事である。議論されている問題についての知識と経験も豊富である。実施するための組織がある。ところを得たと思えれば、とことんやる集団である。そんな役人の集団である官僚組織を、なぜ十二分に使わないのか。使いこなさないのか。

 「なんとか会議」ができるたびに、自分たちが軽く扱われたとの思いを溜め込むことになる。官僚組織全体が、やる気をなくしてしまう。専門家の知見が必要なら、個別に役人が意見を聞きにいけばいい。その意見が行政の組織内で方向性を持たされ、専門的知見に裏付けられた政策データベースとなる。それを政治家に提示し、政治家がそれに最終判断を下して方向性を示すのが、政治主導というものである。

 大震災への対応だけではない。平時においても同様である。このままでは、日本の政治は機能不全に陥ってしまう。官僚をうまく使え、官僚組織をフル稼働させろ、それが本当の政治主導である。


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