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月刊ガバナンス平成23年4月号
続アサノ・ネクストから 第7

子ども手当の問題点

 子ども手当の政策としての意義について考えてみたい。子育てにはお金がかかる。現金給付は、子育て家族にとっては大助かりであり、善政と受け止められるだろう。しかし、実際に給付されたお金は、子育てのために使われるとは限らない。貯金や住宅ローンの支払いにあてることを選択する例は少なくない。旅行、外食、ブランド品の購入など、ちょっとしたぜいたくに回ることも避けられない。本来の目的である子育て支援が達成できるかどうか、確定はできない。また、所得制限を課さなくてよいのかどうか、外国人にまで対象を広げることの適否など、制度の中身の吟味が不十分なまま提示されたきらいがある。

 政策としては意義があっても、財源が限られている中での優先度はどうか。実際に国家財政は極めて厳しい。そういう状況下で、月額1万3千円の手当を所得制限なしに配る政策の優先度は決して高くない。朝日新聞の世論調査(2009年9月実施)の結果でも、子ども手当については、半数が導入反対で、賛成を大きく上回っている。そういった中でも、民主党政権が子ども手当の政策を進めようとしているのは、政権交代を果たした前回総選挙での、党としてのマニフェストに掲げたからにほかならない。次に、このマニフェストについて考えてみる。

 マニフェストは、どんなことがあっても、絶対に守らなければならないものなのか。場合によっては、マニフェストの一部を変更することも許されるはずである。子ども手当にこのことをあてはめて考えれば、現下の財政状況が、選挙時に想定していたものより厳しいものであることを理由にして、子ども手当の導入の断念まではともかく、支給額の減額、支給対象の縮小などの見直しは、許されるし、そうあるべきものともいえる。

 マニフェストに関連して、子ども手当の財源に地方負担を入れることの問題だ。地方負担の導入は、民主党が改革の「一丁目一番地」とした地域主権の確立という政策と矛盾することを指摘しなければならない。「現金支給は国で、サービス給付は地方で」という役割分担の原則はどこにいったのか。財源がないから、地方に負担を求めざるを得ないのが実情なのだが、だったら、子ども手当の支給額を減額するか、そもそも子ども手当をあきらめるかしかない。これも、自らのマニフェストにがんじがらめ、自縄自縛になっている結果といえる。

 マニフェストの変更はあっていい。もちろん、ご都合主義で、勝手に変更してはならない。なぜ変更するのか、十分に説明をし、大方の納得を得る努力をすることは免れない。子ども手当についても、そのような対処はあってしかるべきものである。

 実際には、子ども手当の実施というマニフェストを民主党が守りたいとしても、そうはいかないという事態が進行している。民主党が提案した「子ども手当法案」が、そのままの形では国会を通らないという可能性である。民主党にとって、これが屈辱的か、政治的敗北なのかは知らないが、国民の目から見れば、国会が機能しているということである。それはそれで、歓迎すべきものではないだろうか。

※本稿は3月2日に執筆しました。


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