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月刊ガバナンス平成27年3月号
続アサノ・ネクストから 第54

住民の帰属意識と自治体

 住民が集まったものである。自治体の存立にとっては、住民の自治体への帰属意識を前提としている。

 住民の帰属意識は、歴史を共有し、地域の文化、伝統に愛着と誇りを持つことから始まる。祭りは住民の一体感を再確認する行事である。シンボルとなる山や川などの自然景観も一体感を育てる。帰属意識は、先祖代々その地に住み続ける住民だけが持つものではない。よそからその地にやってくる「よそ者」も、その地に住むことになったからには、やがてその自治体への帰属意識を共有するに至る。

 そういった住民の帰属意識を突き崩すさまざまな要因が、出現している。まずは平成の大合併である。「大きいことはいいことだ」といいながら、行政の効率性、財政破綻の回避、地方分権の受け皿といった目的を持たされての合併は、住民の自治体への帰属意識をもう一度形成し直さなければならないことにつながる。昭和の大合併でも同じことが起きている。つまり、新しい自治体として住民の一体感を確保するには、最低一世代分の時間がかかることを覚悟しなければならない。

 検討中の大阪都構想には論点がさまざまあるが、その中でも、大阪市がなくなる、堺市がなくなるということが大きな問題である。堺市民が堺市を愛するゆえに堺市がなくなるのに反対するのは、単なる情緒的なものではない。歴史、文化、伝統を共有することからくる一体感が崩され、帰属意識を持つ対象たる堺市が消滅することへの抵抗感が大きい。

 同じような観点から、道州制の抱える問題はさらに大きい。住民の帰属意識の崩壊が47都道府県のレベルで起きてくる。甲子園の高校野球や都道府県対抗駅伝で自分の県の代表やふるさとの県を応援するのは、その県への帰属意識に結びついていることを示すわかりやすい例である。

 さらには、道州制の導入にあたっては、もう一弾の市町村合併が不可避であるが、これによって住民の市町村への帰属意識は崩壊してしまう。住民に大きな痛みをもたらすだけである。

 「ふるさと納税」は、ふるさとの市町村への帰属意識を持ち続け、愛着のある住民にとっては、ふるさとへの恩返しの意味も持つ。ところが、実際は、寄付先の市町村から特産物の「おみやげ」を狙って、寄付先を決めているケースが多い。これではふるさと納税の趣旨に反する。

 以上で見たように、自治体を自治体たらしめるのは、構成する住民の帰属意識である。その帰属意識は自治体への住民の誇りにつながる。反対にその自治体は住民の帰属意識を育てる。自治体とはそういった存在であり、人為的に自治体の区域を決めていくのでは、住民の帰属意識を減退させるリスクがある。つまり、自治体の力がそれだけ弱くなることを意味する。

 自治体への帰属意識は「自分たちの問題は自分たちで解決する」という覚悟に結びつく。その自治体に固有のものへのこだわり、自治体への誇りも、帰属意識があってのことである。地方創生を成功に導いていくカギも、この点にあることを指摘しておきたい。


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