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月刊ガバナンス平成27年1月号
続アサノ・ネクストから 第52

「とんでも解散」を考える

 衆議院解散による昨年12月の総選挙。その結果はともかくとして、突然の選挙に至る経緯を振り返ってみよう。

 突然の解散である。議員の任期を半分残して、全議員が身分を失った。野党からはもちろん、マスコミからも「大義なき解散」との批判を受けた。疑惑隠しの解散との見方もあった。「そんな解散はおかしい」と野党が批判しても、首相に解散権があるのだから、負け犬の遠吠えである。批判は封印して、選挙準備に突入する。

 しかし、今回の突然の解散・総選挙はどう考えてもおかしい。制度が、こういう解散も許しているというのなら、その制度を変えなければならない。

 そもそも、今回の解散も含め、これまでの解散のほとんどは、憲法第69条が定める内閣不信任決議可決に対する対抗手段としての解散ではなく、憲法第7条の天皇の国事行為を根拠としている。これはとてもおかしい。

 このことについては、イギリスの「2011年議会任期固定法」(以下、「2011年法」という)の制定が参考になる。イギリス議会においても、首相がいつでも下院を解散できる仕組みについては、疑問が投げかけられてきた。その議論に最終的に決着をつけたのが、「2011年法」である。

 これまでは、君主が議会の解散大権を持っており、その行使について首相が助言するという形で総選挙の施行時期が決定された。我が国の憲法7条解散と同様である。このことの是非について真剣な議論がなされたことが、我が国と違う点である。

 「2011年法」では、下院の総選挙の期日は、5年後の所定の期日(5月の第一木曜日)に固定された。任期満了によらない総選挙は、下院で政権の不信任決議が可決された場合か、自主解散が決議された場合に限定された。なお、自主解散の決議案の可決には、下院の定数の特別多数決(3分の2以上)が必要とされる。つまりは、与野党の合意の上での解散、総選挙ということになる。

 今回の首相による恣意的な解散とその弊害のはなはだしきを見ると、我が国でもイギリス議会にならった法律の制定が必要であると強く思う。与党の議員にしても、野党の議員にしても、任期終了のはるか前に、いきなり議員身分が剥奪される解散が、首相の恣意でなされることへの反発はあるはずである。首相の解散権を制限する法律には、多数の議員の賛成が得られる可能性がある。

 今回の解散については、国民もおかしいと思っている。複数の女性閣僚のスキャンダルがらみの辞任、政治とカネの問題への批判をかわすための解散でないかの疑念。選挙実施に700億円の税金が投じられることへの怒りがある。

 「解散は首相の専権事項」、「伝家の宝刀をいつ抜くか」という言葉が、マスコミであたりまえのように飛び交う。そのことを問題視する論調がほとんど見られないのはどうしたことだろう。「国会(衆議院)は、首相の考え一つで、いつでも解散できる」という仕組みが、国会審議だけでなく、民主主義に対していかに大きな害毒をもたらしているか、我々は真剣に考えるべきである。    


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