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月刊ガバナンス平成26年4月号
続アサノ・ネクストから 第43

集団的自衛権の行使容認

 安倍晋三首相が意欲を示す集団的自衛権の行使容認への動きが急である。集団的自衛権の行使を認めるべきかどうか、その議論はここではやらない。それとは別に、そこに至る手続きのことが気になって仕方がない。

 安倍首相は、これまでの憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使を認める考えである。首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の報告書、内閣法制局の小松一郎長官による解釈変更を前提として、憲法解釈の変更を目論む。

 こういった「理論武装」をした上で、憲法の解釈変更を閣議で決定することを、安倍首相は国会答弁で明言している。閣議決定をしたのち、国会審議のつもりだったが、野党だけでなく、公明党からも異論が出され、国会審議を先にするよう方向転換を行った。

 そんな順番はどうでもいい。問題は、憲法解釈の変更を閣議決定という形で正当化することはどうなのかということにある。そもそも憲法とはという話になるが、近代立憲主義では権力者を拘束するものである。権力者でなく、時の政権、国権といってもいい。国権を縛るということであるから、憲法第9条第2項に「国の交戦権は、これを認めない」とあるのは、戦争をするという、国権の最大限の行使を認めないということである。自分の国を守るための自衛権の行使は認められるが、集団的自衛権行使は、明らかに自衛の範囲を超えている。それがこれまでの政府による解釈であった。

 このような重大な解釈変更が認められるとすれば、そういった憲法は一体なんなのだろうという疑問は当然湧いてくる。憲法観としての立憲主義が定着している国から見れば、「日本の憲法は政府による解釈でいかようにも変えられるんだ」として、我が国の憲法そのものが軽くみられることになる。憲法について外国からそういう見方をされることは、我が国の国益を大きく害するものである。

 仮に、政府が憲法解釈変更を押し切ってしまっても、集団的自衛権の行使を具体化するためには「自衛隊法」などの個別法の改正が必要となる。それら改正法が、最高裁の違憲立法審査権の発動により、違憲無効とされる可能性はある。それとも、最高裁は「本件は高度の政治的判断に関わり、そういった判断は当裁判所のするところではない」と判断を回避するのであろうか。

 いずれにしても、集団的自衛権の行使を認めるといった重大なことは、憲法の価値を貶めないためにも、憲法改正により行うのが正道である。それには膨大な時間と手間隙がかかるから解釈変更という便法でいくというのでは、立憲国家の看板が泣く。

 それならということで、具体的に憲法第9条第2項の改正手順を思い描いてみる。衆参両院議員の3分の2の賛成は、比較的容易にイメージが湧く。国会の発議の後に待ち受ける「国民投票における過半数の賛成」については、そうはいかない。憲法の条文を変えるのに賛成か反対かと問われて、国民一人一人はどうやって判断するのだろう。乗りかかった船ではないが、「民意とは何か」に関わるこの問題を次回は考えてみたい。


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