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月刊ガバナンス平成24年12月号
続アサノ・ネクストから 第27

官僚制の打破?

 政権与党と霞ヶ関官僚組織との関係で、「政治主導」が十分に機能していない。官僚側の抵抗、サボタージュにより、政治家側の指導が徹底しない。各省大臣、政務三役が各省の役人を使いこなすのではなく、逆に役人側にいいように使われているのではないか。政策策定が政治家(与党議員、政務三役)ではなく、官僚主導で行われているのが、今の日本の政治の実態である。

 こういった実態をもたらしたのは、日本の官僚制度が悪いからだとして、「官僚制の打破」を声高に語る政治家が多い。これを政策の柱とする政党もある。「そうだ、そうだ。官僚が悪いんだ」と呼応する国民は少なくない。「官僚制の打破」は一般受けするのである。

 官僚が悪いのではなく、官僚を使いこなせない政治家の力が足らないのだという正論がなかなか通らない。政治家が政策を打ち出さないから、仕方なく、官僚がその役割を果たしている面もある。官僚がそういった役割を果たしてきたからこそ、なんとかかんとか、日本がここまで大過なくやってこれたのではないか。

 本来は、政治家のほうがもっとがんばるべきであったが、それができていない。政治家が「官僚制の打破」を叫ぶのは、「天に唾するもの」とまではいわないが、自分たちが官僚を超える力を発揮できないことを棚にあげての議論に聞こえる。

 どうしたら政府与党側が官僚に対して優位に立てるのか。各省大臣が、役人を使いこなせるのか。答えは簡単。内閣は、いったん発足したら、閣僚を変えないことである。大臣が1年も経たずに次々変わるようでは、各省の役人からは信頼されない。ましてや、総理大臣までもが一年交代では、どうしようもない。

 ここで、衆議院解散のことに触れる。解散は、憲法69条に基づく、内閣不信任決議への対抗措置としてのみ許されるべきであり、憲法7条の「天皇の国事行為」を援用しての解散は、してはならない。時の首相は、解散を自制すべきである。衆議院議員は4年間の任期をまっとうし、その議員により選出された内閣総理大臣は、自分が組織する内閣ともども、4年間は政権運営を継続すべきである。「解散がないのはあたりまえ」と受け止めるようになれば、それを前提にものごとが動く。「解散の時期を明確にしなければ、国会審議に協力しない」といったように、解散が政争の種になるのは、政治の駆け引きとしても不健全である。

 衆議院議員が4年間の任期を務めることは、権利というよりも義務である。有権者も、そのつもりで議員を選んでいる。政権も4年間は継続しなければならない。

 このことが、政治主導を取り戻す必須条件である。新内閣の大臣は、4年間務める。そうであれば、省内の人事も把握できる。大臣が実質的な人事権を持つことは、各省のマネジメントの出発点である。

 「官僚制の打破!」などと、喧嘩腰でやることはない。政治家は、国家という船の進むべき道を示す。到着すべき島影を決める。船の漕ぎ手は官僚である。官僚には、必要な指示をし、力を発揮させればいい。優秀な日本の官僚は、それぐらいのことは立派にできる。


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