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月刊ガバナンス平成23年12月号
続アサノ・ネクストから 第15

大阪府の「教育改革」

 大阪府では、「教育改革」の名のもとに、3年連続定員割れの府立高校の統廃合、2年連続最低評価の教員の分限処分、学力テストの学校別結果の公表などを定める「教育基本条例案」が府議会に提出されている。大阪府では、「大阪都構想」を掲げて、橋下徹氏が知事を任期途中で辞任して、大阪市長選挙に出馬することに、注目が集まっているが、この「教育基本条例案」も看過できない大きな問題をはらんでいるので、ここで取り上げたい。

 第一に、教育の政治的中立ということから議論する。戦後、GHQが日本の民主化のために、政治権力が教育をゆがめてはならないと配慮し、教育委員会制度が生まれ、知事・市長からの独立的地位が付与された。その後の反動で、何度も制度の見直しが議論されたが、今日まで教育委員会の独立の制度は維持されている。

 なぜ、教育委員会の中立性が大事なのか。そこには、教育の特殊性がある。子どもたちをどう育てるかは、単なる技術ではなく、価値を含む分野である。そこに、特定の、極端な方向性を持った勢力が入り込み、その考えを押し付けるようなことがあってはならないという戒めであろう。

 次に、内容について吟味するが、ここでは、学力テストについて考えてみる。そもそも、教育分野で競争性がなじむかどうかの議論である。

 学力テストの歴史は、平坦ではない。国が全国学力調査を始めたのは、1956年。当初は抽出での実施。1961年からは、中学2,3年対象に全国悉皆調査となった。実態は、県別の成績比較が出回り、テスト準備が公然と行われ、県同士のトップ争いが激烈になるなど「弊害」が出始めた。そういった状況を受けて、学力テストは1966年で打ち切られた。

 その後、1982年に、全国学力テストは復活し、現在に至っている。学力テストの運営においては、クラス単位、学校単位のテスト成績を他のクラス、学校、さらには市町村単位で比較することの是非が問題になっている。貧困家庭が多いなど、そもそもの学校の立地条件によって、生徒にテストでの高い成績を期待できないところ、その反対のところがある。知的障害のある生徒にテストを受けさせないというクラスもあるという。それを裸で比較して、平均点より低い成績の学校の教員を「だめ教員」と評価することは公平であろうか。「改善」努力を評価するのに、そのクラス(学校)の前年の成績との比較なら参考になるが、単に学校ごとの比較するのは、合理性がない。

 これは、「教育とは何か」という基本的な哲学に関わる重大な問題提起である。教育委員なら、この声の重要性、妥当性を十分に理解できるはずである。テストの平均点で最下位評価を連続で受けた教員を処分(免職を含む)対象にするという暴挙を、教育委員会がするはずがない。

 今回の条例案は、改革の必要性から目を背け、現状維持をしようとする教育委員会に対する対応として、世の中に一石を投じたと評価されるが、石を投げた方向が間違っている。もう一度、熟慮したうえで、出直すことが求められる。


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