浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

月刊ガバナンス平成23年9月号
続アサノ・ネクストから 第12

原発再稼動と民主主義

 東京電力福島第一原発の大事故を受け、日本のエネルギー政策の議論がなされている。特に、電力供給のうち、原発の担う割合はどれぐらいであるべきかの議論である。私は、この議論は、成り立たないと考えている。

 3.11以降、再稼動第一号と期待されていた玄海原発は、菅首相の突然のストレステスト提案と九州電力の「やらせメール」で、岸本英雄玄海町長、古川康佐賀県知事が、政府、九電への怒りの言葉とともに、承認を見送った。再稼動の承認が最も期待されていた玄海原発が、こんな状況である。次は、どの原発が再稼動できるのだろう。

 再稼動には、原発立地自治体の首長の承認というハードルが立ち塞がる。首長が「ウン」と言っても、地域住民は「ノー」かもしれない。安全性と安心感は別物。住民が「安心」と感じるハードルは、原発の安全性に納得するハードルよりもはるかに高い。福島原発事故の惨状を知る住民に、原発稼動への安心感を持たせることは、現状では、かなりむずかしい。

 原発再稼動への動きにおける住民の役割を考えると、民主主義の問題に行き当たる。地域のことは地域で決める地域主権の考え方は、原発立地自治体の住民としては、意識している。再稼動の是非については、政府、電力会社からの合理的な説明がなされた上での住民の判断も重要である。今回の一連の原発事故に関する情報公開について、国民側から見ての政府への信頼感は大きく揺らいでいる。さらに、首長が再稼動を承認するかどうか判断する際には、住民の意向をきっちり汲み取る必要がある。選挙を意識すれば、なおのこと、そうなるはずである。

 民主主義を成り立たせる道具が、そろっている。地域主権、情報公開、選挙、こういったことを基本に、原発再稼動問題をめぐって、住民が動く。政治への関心が薄いと見られていた若い母親たちが「ノー」と言う住民の中心になるだろう。福島原発事故が収束していない中で、「再稼動しても安心だよ」ということを、子を持つ母親にどう説得するのだろうか。母親たちは動く。その結果はどうであれ、これが民主主義の実践になる。

 今年中に再稼動できる原発は、限りなくゼロに近いのではないか。もし、この見立てどおりになれば、日本のエネルギー政策において、原発による電力供給を何%にするかという議論は、ほとんど無意味になる。冒頭に「この議論は、成り立たないと考えている」と書いたのは、「どうするか」ではなく、「どうなるか」というのが、原発(再)稼動の実態だからである。

 再稼動できる原発の数が関数で、エネルギー政策はその「解」となる。その逆ではない。原発の電力供給量が極少化する中で、「企業活動をどうするか、国民の電力需要をどう抑えるか」の議論となる。

 「再稼動できる原発はゼロに近い」という私の見立ては、はずれてもいい。むしろ、再稼動への動きの中で、住民はどう行動を起こし、それが再稼動を承認するかどうかの判断に、どのような影響を与えるか、そこを注視していきたい。日本の民主主義が、住民の実践により進化、深化していく過程を見てみたいという思いが大きい。


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