浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

月刊ガバナンス平成18年9月号
アサノ・ネクストから 第9

道州制をどう扱うか

 「道州制には浅野さん、賛成ですか、反対ですか」と知事時代に何度も尋ねられた。今も同じ質問がなされる。まずは、質問者に問い返す。「あなたの言う道州制とは、どういう仕組みですか」。単なる県の合併なのか、米国の連邦制に近い制度なのか、権限・財源を国から大幅に移譲された道・州を作ることなのか。それによって答は違ってくるのだが、質問者は単に「道州制」と問うのみである。

 まずは、これが第一の問題。大体は、上記の三番目の仕組みを意味することが多い。その場合でも、国の組織と権能がどうなるかの絵柄を示して、「これが俺の言う道州制、あなたの意見はどうか」という聞き方は、ほとんどない。

 道州制の導入を考える時のもう一つの論点は、都道府県制を壊して道州制にもっていく道筋をどうするのかである。道筋というよりも、道州制という制度改革実現の政治的動機づけの問題である。

 市町村合併についての政治的動機づけは、確かに存在していた。つまり、「行政組織の力をつけて、これまで手の出せなかった仕事に取り組めるようにする」という積極的な動機づけだけでなく、「このままでは、自分の町は財政的に行き詰まる」という消極的なものまで、曲がりなりにも、政治的な方向性は見えていた。「このままでは、どうにもならない」という行き詰まり感があり、その突破口としての市町村合併という図式が明確であった。その図式は、住民にも見えていたということもある。

 翻って、道州制論議において、これと同等の行き詰まり感が広く共有されているだろうか。市町村合併がさらに進んで、一県の抱える市町村数が、軒並み一桁になったという状況なら、話は別であるが、現状ではどうだろうか。白地に絵を描くほど単純で、容易な道筋ではない。苦難の道であるからこそ、出発点において、「どうしても」という政治的必然性がないと、列車は自然には動いてくれない。

 気になるのは、道州制の案を政府側が用意していることである。国が考えるような道州制が、地方にとって有利な案であるはずがないという、「毒まんじゅう論」がある。「おいしそうに見えても、食べたら倒れるぞ」という意味である。

 そこまで意地悪な見方はしないまでも、三位一体改革の第二幕がこれから開こうという時に起きているのが、この道州制議論である。私が政府関係の立場だったら、「税源移譲、補助金・負担金廃止の議論は、道州制の問題が決着するまでは棚上げにしよう」と言うだろう。三位一体改革が正念場を迎えようとしている時に、地方側として戦線を拡大して本当に大丈夫なのか。

 こういった懸念はあるが、道州制は、我が国のシステム改革の総仕上げとして、魅力的なものである。今すべきことは、幅広い議論の積み重ねであろう。実現までのロードマップも必要であり、その際、住民をどう巻き込むかの視点は欠かせない。あまりあせってはならない。現実的かつ戦術的な思考と行動が求められる。道州制という大事なシステムを軽々しく扱ったために、失敗したということになってはならないと強く思う。


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