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月刊ガバナンス平成21年6月号
アサノ・ネクストから 第40

「世襲候補の立候補制限」

 衆議院の解散、総選挙を前にして、自民党、民主党で「世襲候補」の立候補制限の議論が行われている。社長の世襲、歌舞伎俳優の世襲などと違って、国会議員の場合には、世襲はありえない。二代目が自動的に議員になれるのではない。選挙で勝利するという過程を経て、初めて親の跡を継ぐことができる。これを「世襲」とは、ふつう、呼ばない。

 議論されるべきは、選挙で候補者になるハードルがあまりに高過ぎることである。選挙にあまりに金がかかること。立候補すると、組織での身分を捨てなければならず、落選の場合には、元の組織に戻れないこと。公務員は、特に、厳格である。知名度、地盤がないと、当選がむずかしい。こういった条件の下では、よっぽどの金持ち、よっぽどの政治好き、よっぽどの知名度、よっぽど勇気のある人、さらには、相当の変わり者しか立候補できない。

 二世議員は、この点のハードルが低くて済んでいる。そうでない人から見れば、うらやましい。金はともかく、地盤がある。親のおかげで知名度もある。後援会も引き継げる。本人も、親の仕事ぶりや、選挙の実態を、門前の小僧よろしく若い頃から学んでいる。 しかし、だからといって、立候補制限をするのは、行き過ぎであるし、現在の選挙の問題点の解決にもならない。ピントがずれているのである。

 有権者の側から見てみよう。議員にふさわしいと思える政治家二世がいても、立候補制限で出馬すら叶わないとなったら、有権者にとっては、選ぶ権利が奪われることになる。確かに、政治家二世の中には、おかしな人もいる。議員にふさわしくない人もいる。もちろん、素晴らしい人もいる。そのことは、非二世候補であっても同じこと。中には、おかしな人がいるし、立派な人もいる。あたりまえのことである。

 立候補制限を法律で決めようというのではないのは承知している。だから、憲法違反といった議論にはならない。各政党での、今の議論の状況を眺めていると、「世襲候補の立候補を制限したら、有権者に受けるのはないか」といったノリに見えてしまう。そんなことで、有権者の選ぶ権利を狭めていいのかと、真剣に問いただしたくなる。

 繰り返すが、選挙のありようを変えることこそが、取り組むべき課題である。国政選挙であっても、財力、知力、意欲などが、普通程度より、ちょっと上ぐらいの人でも、立候補する気になれるような仕組みにならないものか。いったん立候補して飛び出したら、元の組織に戻れないといった片道切符も、なんとかならないか。

 こうやって間口を広くしておいて、出てきた候補者を有権者は大きく見開いた、曇りのない目でしっかり見て、誰がいいのか、真剣に選ぶということ。そうなれば、二世候補だけが、特に、いい目を見るということには、なるはずもない。こういった迫り方こそが、今、必要なのであって、二世候補の立候補制限から入っていこうというのは、本末転倒である。

 いずれにしても、来るべき総選挙では、有権者一人ひとりの真剣さが問われる。目を見開いて、しっかり選ぼう。


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