![]() 月刊ガバナンス平成21年3月号 「天下り論議の本質」 中央省庁の天下りの問題が世間の注目を集めている。各省ごとのあっせんの禁止、「渡り」の全面禁止など。最近の議論は、本質をはずしている気がしてならない。 天下りの害悪は、各省OBの卒業後の仕事先を無理やり作ることにある。「そんなものいらない」という団体はないか。できた団体を食わせるために、いらない仕事、民間でできる仕事を独占的にその組織にやらせていないか。答が「イエス」だとすれば、そちらの害悪こそが、本質的であり、天下りはその結果に過ぎない。 一方、関係業界への天下り。これは、組織的収賄と紙一重である。「役所OBを受け入れてくれたら、業界又は特定の企業に役所として便宜を図ってやるよ」、逆に、「受け入れないなら、役所として意地悪するよ」と口で言わなくとも、業界側には役所の意図は伝わっている。個人としての役人が、個別の事柄について業者の請託を受けて利得を得ることは、立派な収賄である。役所OBの丸抱え就職という利得を、組織としてやるのは、組織的収賄とは言わないのか。 役所側の動機は、OBの第二の職場の確保である。その背景に、役所の「わが社意識」がある。役所は、自分の属する省のことを、仲間内では、「わが社」と呼ぶ。本音は、「わがファミリー」である。社員なら、辞めた人間など関心はない。しかし、○○一家、ファミリーの一員であれば、死ぬまで面倒を見る。逆に、そのファミリーに属している限りは、死ぬまで面倒を見てもらうことを期待できる。そこに忠誠心が生まれ、現役時代には、不要な仕事を作り出すことを通じて、不要な団体を作ることに邁進する。そのためには、その役所の持っている権限、予算を最大限に活用するという行動様式になるのは、自然の成り行きである。 こういった図式から発生する天下りは、厳に禁止しなければならない。逆に、「財務省OBだから、日銀に来ちゃダメ」といった、日本銀行総裁人事をめぐる野党の反対は、理解に苦しむ。日銀側が、財務省の意を迎えるために、OBを拾ってやったなどという図式が、成り立つはずがないではないか。 役所OBの側から問題を眺めれば、オープンな労働市場で、その人の経歴、能力が本当に認められての再就職は、当然、受け入れられるべきである。役所があっせんするという形をなくすと、役人は現役時代から再就職のための功利的行動をとるようになって、弊害が出るといった抗弁もあるようだが、馬鹿げている。そんな弊害が出るなら、そのこと自体をきっちり規制し、違反があったら罰すればいいだけの話。役人に権限を持たせると収賄に走るから、権限を取り上げてしまえとはならない。収賄があったら、罰すればいいだけの話と一緒である。 役人の別な形の天下り(天上がりか)である議員、首長への転出。その選挙にあたって、各省が組織を使ってOBを応援する「ぐるみ選挙」は、「一家意識」の最たるものである。私自身の選挙で、それをやられた経験から、その弊害と犯罪性を論じたいが、今回は紙数が尽きた。まさに「一家意識」こそが、霞ヶ関の害悪の根源であることだけは強調したい。
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