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月刊ガバナンス平成20年6月号
アサノ・ネクストから 第28

後期高齢者医療制度と

政治家の使命

 後期高齢者医療制度の評判が悪い。これが、山口の衆議院補選での与党候補者敗北の一大要因だとの見方がある。「後期高齢者」というネーミングのセンスが悪い、年金記録問題が未解決の中での年金からの保険料天引きとはなにごとかといった批判が巻き起こった。各地の医師会からも反対が表明されている。

 私としては、制度設計がとんでもなく、たちが悪いとは思っていない。高齢者の医療を、将来ともに、どう支えていくかを真剣に考えたら、なんらかの制度改正が必要であり、その内容は、誰が考えても、今回の制度内容と大きく違うことはないだろう。二年間の準備期間があったにもかかわらず、的確な広報、わかりやすい説明を怠った厚生労働省の怠慢もあり、これが制度への非難につながったという見方が、政府部内では強いが、これも、「制度そのものは悪くない」という見方につながっている。

 しかしながら、国民サイドからの「ノー」の合唱は、説明が不十分だからというだけで、片付けられないことも事実である。本来、医療保険制度は、国民が安心して医療を受けることによって、健康で文化的な生活を送ることを保障するためのものである。今回の後期高齢者医療制度も、そういった趣旨で考えられたはずなのに、どうも、国民の目からは、財政的見地からの発想ではないかと見透かされているところがある。「痛くもない腹」が探られているのか、「衣の下の鎧」がチラチラなのか。「カネがないんだから、しようがないだろう」と迫れば、「そうですね」と国民は頭では納得せざるを得ないが、心の奥では違う。「そうか、それなら納得しよう」となるためには、カネがらみとは別なところで、制度の意義が胸にストンと落ちなければならない。

 制度の整合性とか、論理性などは官僚に任せればいいが、国民がどう受け止めるかというのは、政治的センスに関するものである。厚生労働省の官僚に任せておくのではなく、ここは政治の出番ではなかったか。政策の立案は官僚にさせておいて、政治家は法案になったものを国会で通すか通さないかだけということを、国会議員自身が当たり前と思い続けてこなかったか。そのツケは、後期高齢者医療制度だけでなく、他の政策分野にも回ってきている。

 数年前の金融国会の時に、「政策新人類」と呼ばれる一群の国会議員がもてはやされた。「国会議員のくせに、政策立案までできるとは珍しい」、だから新人類だというノリだったのだろう。だったら、その前には、政策を語れる国会議員は、ほとんどいなかったというふうにも聞こえる。

 ねじれ国会である。政局ではなく、政策の議論をして欲しいと強く願う立場からは、今回の後期高齢者医療制度をめぐる出来事は、政治家が政策にもっと関われ、主体的に行動せよということを示しているように思える。霞ヶ関とのパイプの数と太さで有権者にアピールする候補者ではなく、政策立案能力に長けていることで選ばれる候補者、そういう選挙にしなければ、今回のような政策をめぐる混乱は、何度でも繰り返されるだろう。


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