月刊ガバナンス平成19年8月号 東国原現象 このところ、東国原宮崎県知事と話をする機会が多い。テレビ番組で東国原知事についてコメントを求められ、宮崎まで飛んで、現地で対談する機会が何度かあった。 そんな中で、宮崎県議会を傍聴させてもらった。6月議会の一般質問の3日目、60人の傍聴席に2倍の希望者が詰めかけるという関心の高さに、まずは驚かされた。 議員の質疑が興味深かった。今議会から一問一答方式になったことも、迫力ある質疑の要因ではあろう。東国原知事の答弁ぶりが、答弁書を読み上げるだけでなく、当意即妙の場面もあったということも見逃せない。 多くの傍聴者が見守っているのだから、議員各位も緊張せざるを得ない。議員が知事の足を引っ張るとか、意地悪をするといった場面は皆無である。 それもこれも、東国原知事の登場が原因である。登場直後は、芸人あがりに何ができるのかとか、敵だらけの県議会を乗り切るのは大変とかの心配の声があった。このコラムの三月号で「そんな心配は無用」ということを予言していた私とすれば、今の状況は計算済みのことではあった。 結局は、選挙のありようである。「選挙のありようが、知事のありようを決める」というのが私の信念であるが、宮崎県で見ていることは、まさにそのことを実証している。まじめにマニフェストを作り、真剣に選挙戦を戦い、県民の心を揺さぶったそのまんま東候補は、その勢いをもって知事職を務めている。これが県民にアピールしないはずはないし、県議会もまともに受け止めざるを得ない。 それにしても、どこに行っても人気者、マスコミで引っ張りだこの「東国原現象」がこれほどのものになり、しかもまだ続いているということは、予想以上の出来事である。私が現役の知事だったら、「なんで東国原知事だけが注目されるんだ」とひがんだり、やっかんだりしただろう。マスコミが取り上げるから注目され、注目されるからマスコミが取り上げるという循環になっているのだろうが、これはこれで社会現象としても、政治現象としても、じっくり分析されるべきものである。 テレビ局の要請で、宮崎市内で何人かの市民にインタビューをした。全員が東国原知事の登場を歓迎し、県政に期待を持っていることがわかった。今まで有名でなかった宮崎県ががぜん注目されていることを単純に喜ぶ声も多かった。何よりも、県政が身近になったことをみんなが口にする。 私が最も評価するのが、このことである。県民にとって、県政が身近になり、県政に関心を持ち、県議会への傍聴などという行動にまで移される。これだけで、県政はいいものになるはずである。知事とともに県政改革のために身を投じようという覚悟を持つに至っている県職員が、確実に増えていると聞いた。 東国原知事に課題があるとすれば、裏金問題を含む県庁改革への本気度であろう。本気度が試される場面が、必ずやってくる。その時に、その本気度を周りにも知らしめて、一緒に行動させるためにどうすべきか。悩み苦しむ時をどう乗り越えるか。そこを乗り越えさえすれば、未来は明るい。
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