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杜の都の空から 第86号

「新世紀の幕開け」

 この原稿は、21世紀最初の号に掲載になるはずのものである。世の中では、「21世紀最初の」といった言い方が一日のうち何度も繰り返されている頃であろう。たかが暦の上だけのことではないかとは思いつつも、ついつい話の枕に振りたくなってくるフレーズである。  

 毎年の始めには、一年の計というのを立てる人が多い。それが今年は新世紀の計ということになるのだろうか。ことがいかにも大袈裟であるが、せっかくこういう機会に居合わせたのであるから、そのぐらい気宇壮大な計画を持ってもいい。  

 それにしても、生きて21世紀を迎えることができたのは、とてもうれしいことではある。なにか大病でもしたのかと問われれば、そんなことはないのであるが、ともかくうれしい。 私と同年代の友人でも、21世紀を見ずにこの世を去ってしまった友もいることを思うと、そんな感慨にとらわれる。

 私は1948年生まれである。小学校の頃、21世紀を迎える時は52歳になっているんだなと計算していたことを覚えている。小学生の頃は、自分が52歳になることはほとんど考えられなかった。52歳の自分を思い描くことは不可能であった。その自分が、52歳になって21世紀を迎えている。          
 
 
 つまらないことであるが、鳥取県の「二十世紀梨」はどうなったのだろう。アメリカの映画会社「20世紀フォックス」は社名変更したのであろうか。  

 これまた、私自身は前々からつまらないものの言い様と思っていた「世紀末」、あれは一体どうなったのだろうか。世紀末的というのは、なにかおどろおどろしいことの形容詞のように使われることがあったが、それには何かの根拠があってのこととは思えなかった。たまたま19世紀の終わりごろに、変な事象が続いたからというだけなのだろう。この言葉を使い始めた責任者出てこいとまで言うつもりもないし、そもそもその責任者なるものはどこにいるのかもわからない。それにしても、20世紀の世紀末に、「世紀末的」なことが特に起こらないで本当に良かった。

 折角の世紀の転換期なのだから、むしろ、いいことが起こること、希望が持てること、そういうことに「新世紀」の表現を積極的に使うことは大いに結構なことである。  

 わが宮城県が「世紀末」の西暦2000年3月に策定した新しい総合計画の名稀は「新世紀・豊かさ実感みやぎ」である。20世紀型の豊かさが、大量生産・大量消費・大量廃棄、スピード、効率性、流行といった言葉で象徴されるとすれば、宮城県が目指す21世紀型の豊かさは、ゆとり、安心、安全、個性といったものを強調したものである。こういうことを主張するのに、世紀の変わり目は、まことに都合がいい。  

 今年の国民体育大会は、わが宮城県で開催されるが、その名称はそのものズバリ「新世紀みやぎ国体」である。宮城大会で56回を数える国体であるが、21世紀の最初の大会を開催できることは、まことにラッキーである。ついでに、新世紀を期して、知的障害者のスポーツ大会(ゆうあいぴっく)と身体障害者のスポーツ大会が統合される。その栄えある第一回の全国障害者スポーツ大会は、宮城県での開催となる。これもラッキー。   

 景気はなかなか回復しない。政治の場面も失望の連続。なにもかにもうまくいっていないこの日本、と感じている人達も多いのであるが、そんな時に「新世紀」というのは、なんの論理的根拠もないが、何かいいこと起こりそうという気にはなる。世紀の変わり目を契機に、何かを変えてやろうという気概も生まれてくるはず。それを利用しない手はないと思うのだが、いかがなものだろうか。

 
  このところ未、6年欠かしていないことであるが、元日に初走りをする。仙台のSMC(サンデー・マラソン・クラブ)のメンバー50人ほどと一緒に、市内の大崎八幡神社にお参りをしながらの早朝ランニングである。この原稿を書いている時点では、まだ未来形ではあるが、新世紀の初走りもしつかりとやり遂げようと思う。  

 翌2日は、これも恒例の塩釜神社へのランニングをSMCの仲間と挙行する。往復34キロ。結構な距離で、結構くたびれるが、これを完走すれば、今年もがんばれるとの確信を持てるから、あだやおろそかにはできない。今回は、「新世紀もがんばれる」であるから、なおのこと覚悟が固い。

  「今年は知事選挙もあって・・・」と水を向けてくる人も多いはずであるが、まだまだそっちのほうの覚悟は決めていない。 20世紀のことは20世紀のこととして、新しい世紀には、また新しい気持と覚悟で臨みたい。元気で走れるうちは、21世紀も走り続けるのは当然である。どんな道が行く手に広がっているのかはわからないが、ともかく走り続ける。心身ともに健康を保ちながら、毎日走ることができるのであれば、それ以上望むことはあまりない。  

 拙文の読者の方々は、21世紀の幕開けを共に祝った仲間である。これからの1年1年、よろしくお付き合いをいただければ幸いである。


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