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杜の都の空から 第84号

「メンフィスツアー」(下)

 前回に続いて、エルヴィス・プレスリー追悼のメンフィス・ツアーについて。今回の「観光」は、エルヴィスのたどった足跡にかなり詳しく通じているファンでなければ、その意味を理解するのむずしい。1953年、エルヴィスが自分用のレコードを作り、翌54年、初めてのヒット「ザッツ・オール・ライト」を吹き込んだ「サン・レコード」のスタジオ。半世紀近く前の7月のある日、気温40度にもなり、冷房も入らないこの狭いスタジオで、あの歴史的吹き込みがされたのか。その時のエルヴィスの姿を目に浮かべながらそこにたたずむと、深い感慨につつまれる。それにしても、当時のままの姿でこうしてスタジオが保存されていることもすごい。

 メンフィスから車で2時間の、ミシシッピ州テュペロにもでかけて、エルヴィスの二間だけの生家を訪ねた。屋内に水道も手洗いもないこの家から、世紀の大歌手が生まれた。町全体がうらさびれたところと勝手に思い込んでいたのだが、当時千人程度の町が、いまや人口36000人ほどに大発展していたのは、むしろあてがはずれた。

 命日の前夜の8月15日は、もはや伝統的行事にまでなったキャンドル・ライト・ヴィジル。手に手にロウソクを持って、グレースランドの入り口のミュージック・ゲイトからメディテーション・ガーデンまで歩く。その数8000人。我々21人の手に持つのは、日本から持ってきた提灯。よく目立つので、多くの人が写真をとりにやって来る。

 9時にゲイト前で簡単なセレモニー。その時にかかった「イフ・アイ・キャン・ドリーム」、「ゼアズ・オールウェイズ・ミー」、「好きにならずにはいられない」が雰囲気にすごく合っている。また、少し涙が出てきた。

 世界のあらゆる国からエルヴィス・ファンがやってきている。死んでから23年もたっているのに、ここグレースランドを訪れる人の数は、毎年75万人。年を経るごとに増えている。ろうそくを手に、メディテーション・ガーデンのエルヴィスの墓に向かう人の目には涙。エルヴィスの死を悼んでというよりは、あの素晴らしい歌をもたらしてくれたエルヴィスに感謝しての涙のような気がする。命日の8月だけでなく、1月8日の誕生日にもやってくるという人が、我々21人のグループの中にも、何人もいる。

 我々が墓の前にたどりついたのは12時半。その間、ずーっと、この場にふさわしいエルヴィスのしっとりとした歌声の曲が庭内に流しつづけられている。このヴィジルの運営は、グレースランドではなく、ファン・クラブに任されている。ろうそくを配り、水のサービスをし、最後に掃除をするのもファン・クラブのボランティア。こうして伝統は守り続けられてきた。

 80歳の日前(ひさき)さんは、10年ほど前に夫をなくし、それから1年ほど経った頃、流れてきた歌声に耳を傾けているうちに、自然に涙が出てきたという。それが、エルヴィスの「アンチェインド・メロディー」。そこからエルヴィスについての本を読み、エルヴィスの曲を聞き、こうして毎年メンフィスにやってくるほどのファンになった。「ひとり暮らしだけど、ちっとも寂しくない。だって、私にはエルヴィスがいる。落ち込んだ時にエルヴィスの歌を聞いたらすぐに立ち直れる」。それまでは、音楽はクラシックしか興味がなかったという日前さんのこの変わりようである。

 68歳の眞杉さんは40代で夫をなくしている。エルヴィスを好きになったきっかけは、5年ほど前に、曽野綾子さんの小説「神の汚れた手」の中に、「エルヴィスは、この歌をこの世に残しただけで、生まれてきた価値がある」というセリフをみつけたこと。「この歌」は「夕べの祈り」というゴスペルである。それからエルヴィスに興味を持ち、本を読み、エルヴィスの人間性に魅せられた。そして、歌に入っていき、エルヴィス・ファンになっていったとのこと。「お金の続く限り、こうしてグレースランドにやってきます」という眞杉さんの話を聞いていると、エルヴィスを語ることは、人生を語ることだという気がしてくる。

 今回のもう一組の夫婦である笠原さんは、15歳年上の姉に教育されてのエルヴィス・ファン。高校3年生の時、どうしてもエルヴィスのステージを見に行きたいと思って、アルバイトでお金を貯めて、あと5万円というところで、「エルヴィス死す」とのニュースに接した。今回はそれから23年経ったあとの敗者復活戦のようなものなのだろう。

 まさに、一人ひとりにエルヴィス・ファンになる必然性があり、そのあとの人生がある。その果てに、このグレースランドにたどりついたということである。その一人ひとりが、8月15日の夜、ろうそくを掲げてグレースランドのエルヴィスの墓に向かって静かに静かに歩みを進めている。

 振り返って、満足感で一杯である。着いた翌日に、「エルヴィス・プレスリー国際5Kマラソン」に急遽参加して、1000人以上のファンとともに走って、記念のTシャツをもらったことも含めて、大満足であった。地元紙の「コマーシャル・アピール」の16日の紙面に、私が受けた取材でのコメントが出た。「忙しい仕事なので、再びここに戻ってくることはないでしょう」というものだが、そうはいっても、いつかまた、ここに戻ってこれることを、望んでいる。


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