浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

杜の都の空から 第83号

「メンフィスツアー」(上)

 エルヴィス・プレスリー・ファン・クラブの会報に出ていた「メンフィス・ツアー」の案内を見て、知事になって7年目にして、初めての長い夏休みを取ろうと思った。

 わが愛するエルヴィス・プレスリーが13歳から暮らし、42歳の生涯を閉じたのが、テネシー州メンフィス。そこのグレースランドという名の邸宅で亡くなり、そこに墓もある。私は35年来のエルヴィス・ファンであり、地元のコミュニティFMで、エルヴィスの曲しかかけない珍しい番組のDJを毎週務めている。そうでありながら、「グレースランドにいったことがない」では申し訳が立たない。

 23回目の命日が8月16日。この日を含む1週間、グレースランドのすぐ前の、その名も「ハートブレイク・ホテル」に6泊。完全にエルヴィスのためだけのツアーである。総勢21名。私達と笠原さんが夫婦で、いずれも初参加。残りは全員女性で、何十回目という千葉さんをはじめ、二人を除き全員がリピーターである。エルヴィスの写真入の服装、小物に身を固めている。エルヴィスに関する思いと知識の深さに圧倒される。

 着いた翌日。まずは、グレースランドのツアーである。エルヴィスが1957年から住み、1977年に亡くなったところ。庭は広いが、建物はアメリカの普通の金持ちが住む程度の広さと豪華さだ。エルヴィスのとてつもない財力からいったら、むしろそのつつましさのほうに驚く。

 この日の圧巻は、夜の映画であった。30年前に公開されて、全米でも日本でも大ヒットした「エルヴィス・オン・ステージ」で未使用だった生フィルムを再編集して、97分間にまとめたもの。2,3日前に編集を終えたばかりで、公開はこの日が初めて。しかも、そのあと一般公開の予定はないし、ビデオ発売も来年になる。それだけ価値のあるこの日の上映である。観客の期待はいやが上にも盛り上がる。

 素晴らしい出来であった。画面の中のエルヴィスは躍動していた。旧作にあった、ファンや関係者へのインタビュー場面はカットして、エルヴィスの歌を中心に編集してあるので、ファンにとってはこたえられない。上映中は最初から最後まで観客の声援や悲鳴が館内に響きわたった。映画の声援と館内の声援がごっちゃになって聞こえてくる。

 見ていて、涙を抑えられなくなった。メンフィスに来て、世界中のエルヴィス・ファンとこの感動を一緒に味わっていることへの共感の涙、こんなに素晴らしいエンタテイナーを失ってしまったことへの悔しさの涙でもあった。

 映画館を出たら、日本からきた仲間もみんな泣いている。メンフィスへは9回目になる伊藤さんは、「映画始まってから、もう泣きっぱなし。来てよかった、これだけのためでも、来てよかった」と涙、涙で私に抱きついてくる。エルヴィスが死んだというニュースを見たのがファンになるきっかけと言っていた松井さんは、「生きてきてよかった」と、それ自体感動的なコメントを洩らす。

 5年前ごろの、エルヴィスを紹介するテレビ番組を見てからファンになったという児玉さんが泣いているのは、ちょっと違った理由から。「このために来たのに、映画の途中で、疲れからちょっと眠ってしまったのが悔しくて・・・」看護婦をやっているという彼女なので、多分出発ぎりぎりまで忙しい仕事だったのだろう。かわいそうで、私までもらい泣きをしてしまった。

 ツアーを現地で仕切っている女性、BJレミーの感想。「この感動を世界のみんなが共有できれば、この世から戦争も憎しみも争いも、すべてなくなるず」そのとおり。エルヴィスの歌とパフォーマンスには、単なる歌のうまい歌手が与える以上の見る人の魂を揺り動かす感動がある。

 私のエルヴィスの歌の評価は、偏っていた。「ハートブレイク・ホテル」が全米ヒットした1957年からの「50年代」のエルヴィスが最高と、50年代礼讃の私であった。60年代はポップス風の歌とくだらない映画、70年台のギンギラギンの衣装で太目の身体をさらしてのステージ、50年代ほどは心魅かれないというのが本音であった。

 今回のメンフィスで、偏見が取れた気がする。ステージでのエルヴィスのパフォーマンスは見るものを魅了する、特に、ゴスペルがすごい、魂に訴えかけ、傷ついた心を癒す。つまりは、70年代のエルヴィスの再認識である。世界各国から、老いも若きもこのメンフィスに何を求めて来るのかを考えつつ、「エルヴィス・オン・ステージ」の再編集版の映画を見ているうちに、エルヴィスのもうひとつのすごさを理解することができた。

 メンフィスでの1日、近くの黒人教会にでかけた。牧師は、かつての有名なブルース歌手のアル・グリーン。説教は少しで、聖歌隊がゴスペルを歌い続けていた。数人、歌に合わせて身体を揺れ動かしている信者はいたが、踊り出すほどではない。エルヴィスの行っていた教会では、もっと熱狂的な踊りまでいっていたようだが、こういう雰囲気の中でエルヴィスの音楽的な要素が育まれたのだろう。

 だめだ、ここで紙数が尽きてしまった。夏休みの日記のようなこの原稿、次回も続けていいだろうか。


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