浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

杜の都の空から 第82号

母の傘寿

 実の母親が、この七月で満八十歳になった。世の中では、「傘寿」と呼ぶらしい。ともかく、めでたいことである。姉二人も私も近くに住んでいる。なんとはなしに、「それでは、ひとつ、お祝いでも」ということに話がまとまった。

 私とは「親子ほど」年が離れている母であるが、これがなんとも元気である。年齢相応に、あそこが痛い、ここが調子悪いとは言いながら、結構外を出歩いている。博物館友の会に入っていて、歴史や文学を学んだり、アタマもしっかりしている。つれあい(私の父)を二十年前になくして、ひとり暮らしも年季が入っている。

 その母親を囲んで、秋保温泉の素敵な旅飴で一晩過ごそうという算段である。それぞれの配偶者も同伴で、総勢七名。部屋は豪華で、ごちそうもうまい。女将が「傘寿」のことを察知して、即席にお祝いのカードと記念品まで用意するという気遣いに、母は大満足の様相であった。それを見て、普段は親孝行と無縁の私も大満足であった。

 次姉夫婦が「余興」をやるというので、なにかと思ったら、母の娘時代からの写真をアルバムから複写してスライド化し、それを映写するということらしい。母の実家は、仙台市内で代々商売を営んできた。戦前は、家屋敷を相当持っていて羽振りもよかったらしいが、戦後、父親(私の祖父)の放蕩でほとんど財産をなくしてしまった。

 スライドに映し出される母の娘時代は、まだ羽振りのよかった頃である。その家に下宿していた医学生に見初められ、結婚。夫(私の父)は、宮城県の北部の農家の出である。結楯して、初めて夫の実家に移り住むときに、「ああ、こんな田舎に行くのか、いやだいやだ」と嘆きながらだったと、スライドを見ながら母が解説する。

 結婚して間もなく、父は軍医として従軍する。父は農家の四男であるので、残された母は乳飲み子二人(私の姉)を抱えて、姑、小姑に囲まれながら、馴れない農作業もやらなければならなかった。この頃が、母として一番心細く、つらい時期だったのだろう。戦地から帰ってきた父の姿を田圃の向こうに認めて、駆け寄っていったという母の言葉に、映画の一場面を思い浮かべた我々姉弟であった。

 私は、姉二人のあとの一人息子である。私の前にもう一人女の子が生まれたのだが、誕生して数日しか生きられなかった。こういう次第なので、ただ一人の男児として、大事にされるのは当然の成り行きだろう。

 その大事な男児が、生後すぐに消化不良に罹った。戦後の混乱期で食べ物がない。牛乳も手に入らない。その私を救ってくれたのが、山羊の乳だったということを最近知った。

 女、女と続いたあとの、初めての男の子である。母にとっては、男であるだけで「頼もしい」という感じだったらしいが、私のほうは、なかなかその期待に応えられない。田舎から仙台に引っ越してきて、途中で入った幼稚園には、まるでなじめず、「登園拒否」の「頼もしくない」男の子であった。田舎では、同年代の子どもは周りにいなかったし、言葉も違う。私もカルチャー・ショックでつらかったのである。

 毎朝、母のエプロンにすがって、幼稚園に行くのをいやがる私であった。しかし、いつの間にか立ち直り、小学校では元気一杯の少年に変身した。多分、その過程において、母の私へのおだてやら、勇気づけやらあったのだろうが、今となっては思い出せない。

 母は女学校時代は、出来の悪い生徒だったと自分で言う。まあ、公平に見て、凡庸な、人並み程度の母である。それでも、その母の子ども三人は、そこそこ出来が良く育っているのだから、その点は非凡な母なのかもしれない。

 私だけでなく、三人ともそうなのだが、ただの一度も、母親から「勉強しなさい」と言われたことはない。ただし、学究的とまではいかなくても、読書とか教養に親しむ雰囲気は、母が家庭内で作ってくれていたように思う。その意味では、私の成長にとって、母の影響は決して小さくはない。

 仙台で生まれ育った母であるので、仙台以外で暮らすことは考えられない。母は、私が仙台で仕事をすることを期待していたのではないかと思う。冗談で、「仙台市長になって仙台に帰ってくるからね」と母に言ったりしていた私であるが、その冗談から駒が出るとは思っても見なかった。

 七年前の宮城県での出直し知事選の直前に、「今あんたが出たら勝てると思うよ、帰っておいで」という母の言葉を聞いた。これが、出馬するかどうか迷っていた私にとっての、最後の後押しになった。自分のなにげない言葉が、そんな効果を持ってしまったことに、母自身は気がついていない。

 そんなことも含めて、意外と非凡な母であるのではないだろうかと、私も思い始めている。その母はすぐ近くに住んでいるのに、顔を見にいくことさえ少ない。「声だけでも聞かせなさい」という母のリクエストには、しつかりと応えていかなければならないと、改めて思うこの頃である。


TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org